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「小さな背」


寄せては返す穏やかな波。

水温は高い。

顔に降りかかる日差しはきつかったが、けして不快ではなかった。

目を瞑っていても、太陽の力が感じられる。

眠りの浅瀬で、佑太は独り漂っていた。

ガタン。

突然。意識が網で掬い上げられる。

重たいものが床に転がる鈍い音。折り重なる衣擦れ。

階下で響く唸り声が、階段を駆け上がり、ベッドの中でまどろむ佑太の耳に届いた。

異音に気付き、開くドア。廊下が鳴り、階段が軋む。

母親の声が聞こえてきた。

「ちょっと、あなた……、大丈夫ですか?」

またか。

また酔いつぶれて帰ってきたのか。

佑太の父親だ。帰宅は連日、深夜に及んでいた。

楽しむ為に飲むのであろう酒に、逆に飲まれて、いったい何が楽しいんだ。と佑太は思う。

明くる日の朝、悪臭を漂わせながら、頭をかき乱し、

苦悶の表情で起き出してくる父親の顔を見るたびに、

佑太の胸の奥底で、どす黒い炎が小さな舌を出す。

死ねばいいんだ、あんなヤツ。

佑太は枕元に置いた耳栓を探り出し、手馴れた手つきで耳に挿入した。

波音が鳴る。ひやりとした水の感触。太陽の温もり。

やがて、日の光も届かぬ暗く深い海の底へ、佑太は吸い込まれていった。


  


三人分の朝食が並べられたテーブルに朝日が射している。

佑太は生焼けに焼けた食パンにマーガリンを塗りたくっていた。

すぐ脇を皺だらけのスーツが無言で横切る。

父親と朝の挨拶を交わさなくなって、いったいどれくらい経つだろう。

子供の頃は目を見てきちんと挨拶をしなさいと両親に厳しく躾けられたものだ。

あの頃は、まだ父親の飲酒も節度をわきまえたものだった。

帰宅する時間も滅多に日を越すことはなかったと記憶している。

それがいつの頃からか――

そうだ。ちょうど父の会社で大幅な異動のあった時期かもしれない。

慣れない部署でどうのこうのとぼやく父の姿がおぼろげに浮かぶ。

きっと。そのストレスを解消せんがための深酒。

そういえば、詳しくは聞いていなかったが、母親がこぼしていたことがあった。

でもね。お父さんも大変だから……。

それが佑太の耳には、父親に対する擁護ではなく、

母親が自分の感情をコントロールする為に発した言葉のようにしか聞こえなかった。

バタン。

父親の手によって冷蔵庫の扉が派手に閉められる。

グラス一杯の牛乳を呷る土気色の顔に表情は見受けられない。

朝食も摂らず、

母親の問い掛けに答えもせずに玄関に向かう皺だらけのスーツに包まれた父親の背中は、

無言であってもただただ傲慢だった。

死ねばいいのに。

ぼそりと呟き、コーヒーを啜る佑太の顔を、母は悲しそうな目で見つめていた。





玄関に散乱する靴。靴下。おはじきのように転がる小銭。

脱ぎ捨てられたコートから漂う煙草のにおい。

断片的なイメージがスライドショーのように佑太の頭をよぎる。

まったく授業に集中出来なかった。

ずっと心の中にあったおぼろげな一つの考えが、決意という形に塗り固められてゆく。

学校が終わった後、佑太は父親の会社の前で張ることにした。

だが学生服姿では目立つ。

一度家に寄り、制服の上着の代わりに、

父親のクローゼットから拝借したジャケットを羽織った。

ファストフード店でしばらく時間を潰し、目当てのオフィスビルに向かう。

太い柱に背を預け、缶コーヒーで暖を取りながら待っていると、

やがて、大きなガラス戸をくぐり抜ける人波に紛れ、父親が出てきた。

家で見る弛緩し切った顔とは明らかに表情が違う。

引き締まった顔つきは、佑太が普段あまり目にしたことのないものだった。

いや、昔は目にしていたのかもしれないのだが……。

ふん。

だからといって。

佑太の決意が揺らぐわけではない。

10メートルほど後につき、ネズミ色の背中を追う。

林立するビルの谷間。狭い路地を抜け、やがて小さな店が顔を出した。

見上げると、黄色い看板に斜体で「FireBird」と書かれていた。

焼き鳥屋なのだろうか。

その安直なネーミングセンスに、佑太の口元が冷笑で歪む。

縦長の窓から店内を覗く。

父親はなにやらカウンターの中にいる長髪の男性に頭を下げ、二階へと上がってゆく。

一人なのに二階? 店の規模から考えて二階にもカウンターがあるとは思えない。

後で同僚たちと合流する予定でもあるのか……。

しばらくすると父親は階段を降りてきた。

黒い法被をワイシャツの上に羽織り、頭にはねじり鉢巻きを締めている。

カウンターの中で働く店員達とまったく同じ恰好だった。

いったいどういうことだ。

「おはようございます」 父親の野太く大きな声が窓越しに響いた。

働いて、いるのか……。

頭の中が混乱する。足元がぐらりと揺らいだような気がした。

佑太の父親は、てきぱきとカウンターの内外を動き回っていた。

まだ客の姿は見えない。

下ごしらえ。あるいは客を迎えるにあたって、最終的な準備をしているのだろう。

ビールケースや、結索されたおしぼり、トレイに載せた小鉢などを、手際よく持ち替え、

慌しく店内を動き回る様は、家で見る父親の姿とはまったく重なり合わなかった。

「佑太。お前大学には行くつもりなのか」

「ああ、決まってるだろ」

数ヶ月前に父親と交わした素っ気ない会話が思い出された。

佑太の姉はオーストラリアに留学している。

母親は体調を崩しがちで、今はパートを休んでいる。

当然、家計は楽ではない。はずだ。

大丈夫かい?

背中を叩かれた。

振り返ると、初老の男性が佑太の顔をじっと覗き込んでいた。

「あ。いや。はい大丈夫です」

「そう。ぼうっとしているようだったから気になってね」

「スミマセン、大丈夫です」

「そんなところで突っ立っていると風邪を引くよ」

初老の男性はそう言い残して歩み去った。

どこかで嗅いだ覚えのある饐えたにおいを微かに残して。

佑太はぶんぶんと頭を横に振り、再び店内へ目を戻した。

くたびれたスーツ姿の父親はカウンターの端に座り、焼酎のボトルを傍らに置いていた。

佑太の為に、家族の為に、仕事を終えた後も、隠れてバイトをしている父。

バイトを終え、疲れ切った身体にアルコールを流し込んで帰る父。

いつしかそんなドラマのようなシナリオを頭の中で思い描いていた。

ある筈がないと分かっていながら。

分かっていながらも目の当たりにした現実は。

まったくありきたりの現実は。佑太の胸に鈍い痛みを突きつけた。

縦長のガラススクリーンに流れる映像。

杯を傾ける回数に比例するように、傾いでいく父の身体。

カウンターに突っ伏したその背中は小さく、みすぼらしく、まるで老人のそれに見えた。

死ねばいいんだ、あんなヤツ……。

だが。背後から吹き抜けた冷たい風にさらわれたように、佑太の殺意はあっさりと消え失せた。

老いさらばえた背中に一瞥を投げかけ、佑太は踵を返す。

視界の端に積み上げられた黒いビニール袋。

溢れ出す生ゴミ。得体の知れない液体が海となり靴底を濡らす。

いつのまにか足元に絡みついていた薄汚い猫を叩き潰すように、佑太は脱いだ上着を投げつけた。

勝手に死ねばいいんだ、あんなヤツ。

だって。俺が手を汚すまでもないだろ。

佑太はぽつりと呟く。

大きく踏み出したその右足は、ずぶずぶと地面に沈み込んでいった。












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この記事へのコメント
自分の想像していた最悪の父親の姿が崩れ去った瞬間を、必死で立て直そうとしているいたんでしょうか。感謝という簡単なことができない思春期の少年の心を垣間見た気がします。
私も認めざるを得ない親の愛に反発した時期
がありました。
レイバックさんの書きたかった意味とは違う捉え方をしていたらスミマセン。
Posted by ポン at 2009年01月26日 12:18
頭の中を映像が目まぐるしく展開しました。
感動話? と思いきや……
「FireBird」懐かしいですね^^
Posted by タケシ at 2009年01月26日 22:13
FireBird! わたし、この店、好きです。
「FireBird」は印象的なお話でした。そこを舞台に、こんなストーリーがあったのね。馴染みがあったから、作品がぐっと身近に感じました。
あそこよかった。初老の男性が声をかけるところ。流れが変わってインパクトのあるシーンだわ。
ラストはちょっと意外な感じがしたけど、
レイバック風な味付けだと思いました。
タイトルは、その父さえ背負えない佑太のほうを指してるのかなあ、なんて思いました。
Posted by つる at 2009年01月26日 22:44
次の朝は、
ぶっきらぼうにでも「おはよ」の一言でもかけてあげられるかな。
初めのほうの景色や音が聞こえる感じ。
レイバックさんのこういうの、大好きです☆
Posted by naena at 2009年01月27日 13:07
ポンさん>
こんばんは。
親はこうあって欲しい。という理想像と、
現実の親の姿との間には、当然乖離があって、
そのはざまで思い悩む思春期の子供も多いと思うんですよ。
まぁそれを脱却する一歩を彼も……

いえいえ、うぷした時点でもう僕の手を離れてますから(笑)
いろいろな解釈を聞かせていただけると面白いです^^

タケシさん>
こんばんは。
ちょっとややこしい感じでね、
妄想と現実が繋がっているような、
読み手を混乱させるようなイメージだったのですが、
つい手グセのように書いてしまいますねぇ。難しい。
FireBird覚えていただいてて嬉しいです☆

つるさん>
こんばんは。
FireBird飲みにいってみたいよね(笑)
初老の男性にスイッチ役をはたしてもらいましたが、
もう少し書いてやらないとダメでしょうねぇ。
単なる小道具だもん。
お。そのタイトル解釈いただき!
    (↑ほんとなんも考えてないw)

naenaさん>
こんばんは。
あーそれ嬉しい読みです^^
少し抜けたかな。と。
でもまだもやもやしてる感じがね、
伝わっていたなら嬉しいです。
はい。ありがとうございますー☆
Posted by レイバック at 2009年01月28日 00:05
虚実が交差する、油断ならない展開で良かったです。
どうにもならないもんが、オーバーフローしてて、
なんか……沁みる…´Д`
Posted by 火群 at 2009年01月31日 02:35
おお!
殺意がそのまま昇りつめて爆発するように誘導しつつ、
一気に、バイトする父のくたびれはてた姿に突き合わせる手腕が鮮やかでした!
うーん、「父の一分」に拍手!
Posted by 銀河系一朗 at 2009年02月01日 22:00
二転三転する展開に
思わず「おぉ?」「うぉ?」なんて声が出てしまいました(^-^;)
感動話で終わらない。
理想と現実の狭間で揺れるドロドロした感じが、
最後の表現によく出ていたかな、なんて思いました(^-^)
Posted by shitsuma at 2009年02月01日 22:39
火群さん>
こんばんは。
ありがとうございますー☆
虚実入り混じる話って、
ややこしいけど面白いですよね。
でも自分で書くのは難しいですわ(笑)

銀河系一郎さん>
こんばんは。
ありがとうございます☆
ぐぐぐと鬱屈とした不満が溜まっていって――
昨今。実際に親族同士が傷つけあう事件も多いですから、
こういうテーマにはちと興味があります。
また書いてみたいですねぇ^^

Shitsumaさん>
こんばんは。
おお。それは嬉しいなぁ。
ぐらぐらと読み手の足元を揺らすような
展開で書けたらベストなんですけどねー(笑)
そんなにあっさりと気持ちの整理はね、
つくものではないと思いますので、
shitsumaさんにそう言って頂けて嬉しいです^^
Posted by レイバック at 2009年02月02日 20:57
最後の一文が非常に絶妙なオチになっていますね。
本当に、素晴らしい、の一言に尽きます。
僕にはとても書けそうにないです…。
Posted by Q at 2009年02月03日 18:54
Qさん>
こんばんは。コメントありがとうございます。
キレイに爽やかに終えるのもいいかと思いましたが、
思春期の心ってそう単純ではありませんもんね(笑)
またよろしければ遊びにきてくださいね☆
Posted by レイバック at 2009年02月05日 17:55

 サラリーマンの副業か…
 なるほどね、道理で何か様子が変と思った

 つくづく家庭なんて持つもんじゃないな と痛感するね

 結婚てのも面倒くさい代物だね

 独り身の有難さが身に染みる話だ… 独りの境地を穏やかな心で味わいなさい
                  独りの境地を安らかに愉しむ者は
                  一切の苦から解き放たれている by ブッダ

Posted by Fire Bird 常連客 at 2016年11月13日 18:49
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