佑太とミノルは、アキラの住むアパートの横にある駐輪場の空きスペースに、自転車を停めた。
と、突然。
建物のどこかから、男の人の怒声と、ガラスの割れるような音が聞こえてきた。
「……なんだよ、今の音」
佑太は、独り言のように口にした。ミノルは佑太の隣で身体を強張らせている。二人の前にある木造二階建てのアパートは相当に古く、防音性など、ほぼ無きに等しい造りに見えた。
辺りに再び静寂が戻る。佑太とミノルは顔を見合わせた。
アキラが両親と住む部屋は、一階の一番奥だった。
「呼びに行こうぜ」
佑太はミノルに声をかけた。
「うん」
ミノルは震える声で返事をする。
佑太は砂利を踏みしめながらアパートの廊下に向かう。ミノルは先を歩く佑太のあとを追って付いて来た。
いきなり、錆びついた鉄階段の影から黒猫が飛び出してきた。
「わぁっ!」
ミノルが佑太の後ろでおおげさに声をあげた。佑太が振り返ると、ミノルはコンクリートの上で尻餅をついていた。
「おいおい、たかが猫じゃんかよ」
佑太は笑いながら手を差し出して、ミノルを立たせてやる。
二人はアキラの家の前で並び、足を止めた。ドアの横に表札が掛かっている。朽ちかけた木の表面に滲んだ墨で橋本と書かれていた。
「いいか、押すぞ」
佑太は自分に確認を取るように声を出した。
ところが、佑太の指がブザーに触れるか触れないかというタイミングで、急に内側からドアが開いた。
「出てけっ! このクソガキが!」
さっき聞こえたのと同じ声が響いた。同時に、部屋の中からアキラが転がるように飛び出してきた。
スニーカーがちゃんと履けてなかったのか、アキラは前のめりに倒れそうになる。佑太は咄嗟に両手を伸ばし、アキラの身体を支えた。
「くっ」 アキラが言葉にならない声を吐き出した。
「お、おい、大丈夫かよ」 佑太は目の前の状況に戸惑いながらも、アキラに声をかける。
「失せろっ!」
部屋の中から怒りの声と共に空き缶が飛んできた。ドアの前の鉄柱に当たった空き缶は、乾いた音を立ててミノルの足元に転がった。くの字にひしゃげたビールの缶だった。
「行こう」 佑太の肩を借りて態勢を立て直したアキラは、駐輪場のほうへ歩き出した。
開けっ放しのドアの前に取り残された佑太とミノルは、急いでアキラのあとを追う。
「アキラ、おい、アキラってば、待てよ」
佑太の問い掛けにもアキラの背中は反応しない。
アキラは駐輪場から自分のマウンテンバイクを取り出し、佑太とミノルに向かって首をしゃくった。
「公園」 アキラはぶっきらぼうに言い放った。
佑太とミノルは、自分たちの自転車にまたがり、アキラのあとを追った。
ほんの数分で公園に着いた。アキラ、佑太、ミノルの順で、入口に自転車を停める。
アキラは公園の中へは入ろうとせず、黄色の車止めに尻をあずけた。
佑太とミノルはアキラからの説明を待っていた。だが、アキラはうつむいたまま何も話そうとしない。
三人はいびつな三角形の位置関係で、しばらくのあいだ立ち尽くしていた。
やがて痺れを切らせた佑太は、アキラに声をかけた。
「アキラ、お前また、父ちゃんに――」
「言うな」
アキラは吐き捨てるように言った。顔を上げたアキラの口元は、赤く腫れ上がっていた。
「でも、お前、その顔――」
「もういい」
アキラは手のひらを佑太の前に突きつけるようにして遮った。
「佑太、ミノル。お前ら二人で行けよ」
佑太はアキラの言葉に一瞬固まったが、すぐに言い返した。
「何言ってんだよ。三人で行くから意味があるんだろ!」
「そ、そうだよ」
ミノルも佑太に加勢した。
アキラはぎこちなく肩をすくめ、ふぅっと息を吐いた。
「金がないんだ」 自嘲するように短パンのポケットを叩いてみせる。
「お金ならある。俺、少し多めに持ってきたからさ。電車賃くらい余裕だぞ。それに、ミノルがいっぱいお菓子持ってきてるから食べ物の心配もないし、お金なんて要らないよ」
佑太はアキラを安心させようと、つとめて明るい声で言った。
「いいから、お前ら二人で行けよ」
アキラは佑太たちに向かって同じ言葉を繰り返した。
「だから、三人で行かないなら、俺たちだってやめるよ」
佑太も負けじと言い返す。
「バーカ。俺はな――」
アキラはそこで、にやりと笑った。いや、笑おうとした。だが、口元の傷にさわったのか、きゅっと顔をしかめた。
アキラは、いてて。と言い、頬を押さえながら言葉を続けた。
「――俺はな、自転車で行く。お前ら二人は、電車で行くんだ」
「な、何言ってんだよ――」
佑太は慌ててしどろもどろになった。
「さ。早く出発しなきゃ日が暮れるぞ」
アキラは真っ黒に日焼けした顔に不敵な笑いを浮かべていた。もう話は決まったんだよ。と言わんばかりに。
「俺と、お前ら」
アキラは自分と佑太たちを交互に指差す。
「どっちが早いか、ジュースを賭けて、競争だ」
アキラはそう言うと、ポケットから取り出した100円玉を親指で弾いた。
「六月の鯨」4へ つづく
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無料ゲームしたり、YouTubuで関東ローカルの深夜番組を見たりしてたので、
なかなか訪問できませんでした。
ヤバいよ、ヤバいよ。
図書館本もたまってるのに〜。
それはさておき、
難しい設定を挟まれたんですね。
軽々しいコメは書きづらいですが、物語に奥行が出て、とてもいいと思いますよ。
これも連載の良さですね。
こんばんは。
いやいやいやいや、何を仰る!
こうやって目を通していただけるだけで、幸せですからヾ(´▽`;)
いつもほんとにありがとうございます。
そういえば僕も未読本の山が大変なことに……
いやぁ調子に乗って書き出したものの、
どう収拾をつけたものか、苦悩しておりますわ(笑)
本職の物書きってすごいなぁ。
アキラはDVに遭ってるんですか。
二手に分かれて、どういう展開になるか楽しみです!
こんばんは。
なんだか自らいばらの道を歩んでいるような気がします(笑)
どうしましょ(´Д`)
コメントが重複してしまい、申し訳ありません(システム障害?)
「アキラくん」と、そういえば同じ苗字でしたね
大阪弁護士という、大阪だけを弁護する仕事をしています(他の日本は別に、どーでもええねん)
橋本 アキラ⇒いゃぁ、手のかかる生徒ですけど「他人とは思えんのやさかい 堺やないで」
児童虐待がヒドイっちゅうことで、気にはかけてますぅ ホンマ、非道い義父やなぁ
ほな、六月の鯨2 へ(あれ、3では インフルエンザて言葉が? 六月にインフルエンザは流行らんでぇ? なんやろなぁ おっかしぃな?)