ガンダムと聞くと、ぼくは地蔵盆の縁日を思い出す。
もう20年以上前の話だ。当時、男の子の間で、
ガンダムのプラモデルが大流行した。
おもちゃ屋に入荷する日には、朝から並んで整理券を
手に入れなければ買えないなんていう嘘のような話もあったぐらいだ。
特に人気のシャア専用モデルなんかは滅多に入荷しなかったし、
なかなかお目にかかることも出来なかった。
ところがある日、僕はそれを手にする機会に恵まれたのである。
あれは残暑厳しい八月某日。
ぼくの住む町内で地蔵盆の縁日が開かれていた日の事だ。
夕暮れ時の通りの両側はカラフルな出店の列で賑やかに彩られ、
普段はちらほらと見られる猫たちも、
この日は人出に怯え姿を隠すほど、町は活気のある表情を見せていた。
ぼくが一人、
母から貰った数枚の百円玉を手の中でちゃりちゃりと玩びながら、
お祭りで浮き足立つ人込みの中を練り歩いていると、
ふいに射的の店が目に入った。
なんとその店には景品にガンダムのプラモデルが置かれているではないか。
しかも中には憧れのモデル、シャア専用ザクまで並んでいた。
ぼくはテキ屋のおじさんに百円玉を一枚渡し、空気銃を手にした。
先込め式でコルクを飛ばすタイプのライフル銃だ。
弾は3発。だが、いくら慎重に狙っても一番奥に位置する
シャア専用ザクの的にはかすりもしなかった。
最初の三発をあっという間に撃ちつくし、
ぼくはもう一枚、百円玉をおじさんに渡した。
二発を続けて外し、残り一発になった時、
隣にふわりと人の気配を感じた。
およそ祭りの縁日には似合わない香水の香りが鼻をくすぐった。
不思議とその香りを嗅ぐと気持ちが落ち着き、
それまで以上に的に集中することが出来た。
照準と呼吸がぴたりとはまり、ぼくは静かに引き金を引いた。
ぼくのライフルから放たれたコルクは、
見事に目当ての的を射落した。
当たった!当たった!
ぼくは小躍りしてテキ屋のおじさんの顔を見た。
ところがおじさんは戸惑ったような表情で、
ぼくの顔とぼくの隣に立っている人を見比べていた。
ぼくはおじさんの視線の先を追うように自分の隣を見上げた。
そこにはぼくの身長の倍ぐらいはありそうな大男が立っていた。
風のない日の曇り空のような灰色の瞳。
うっすらと無精髭に覆われた顔は、
感情を家に置き忘れてきたように無表情だった。
「相撃ちだなぁ」
その時、おじさんの声がぼくの耳に入った。
「ガイジンのお兄さんとボウズの弾が同時に当たったんだが。
景品は一つしかねえんだ。すまんが二人で相談してくれるかい?」
「モチロン。彼にそのロボットをあげてクダサイ」
ガイジンのお兄さんはぼくの肩にそっと手を置くと、
おじさんに向けてたどたどしい日本語でそう言った。
「ロボットじゃないよ。モビルスーツなんだ。シャア専用なんだよ」
ぼくは彼の間違いを訂正してあげた。
「オー。モビルスーツでしたか。ゴメンナサイ」
お兄さんはお坊さんのように胸の前で両手を合わせて、
ぼくに頭を下げた。またふわりと不思議な香りがした。
お兄さんは残りの二発で、難なく煙草と煙草チョコを撃ち落とした。
煙草はジーンズのポケットにしまい、ぼくにはチョコの方をくれた。
彼の射撃の腕はまったく見事で、これには店のおじさんも驚いていた。
あんたすげぇなぁ。オリンピックにも出れるんじゃないか?
なんて言いながらおじさんは上機嫌になっていた。
多分お兄さんが残り二発で安い景品を撃ち落したからだと思う。
だってそうじゃないと、お兄さんが本気で狙ったら、
店の目玉商品が、無くなってしまって、
きっとおじさんは不機嫌になっただろうと思うからだ。
「ボクの名前はセルゲイ。キミの名前は?」
「ぼくは太郎。お兄さん、ううん、セルゲイさんはどこから来たの?」
「ボクはロシア人なんだ。国はソビエトという名前だけどネ」
「ふーん。ソビエトだけどロシア人なんだ。変なの」
「フフフ。確かに変かもしれないネ。でも近い将来――」
彼は途中で口を閉じ、縁日の庇や、電線で、
細長く切り取られた夕焼け空を静かに見上げた。
「では、ボクはそろそろ行くヨ。またね太郎」
「うん。セルゲイさん。これ、ありがとう」
ぼくはシャア専用ザクの箱を両手で頭の上に掲げた。
「いや。それはキミが自分の腕で取ったものだ。お礼は要らないヨ」
彼はそう言い残すと、優しい笑顔で手を振り、人ごみの中へ消えてしまった。
☆ ☆ ☆
それから12年後。僕はセルゲイさんと再会することになる。
一浪して大学に入った僕は射撃部に入った。
これはあの時の射的と関係があるのか?と訊かれると困るのだが、
今この場で運命的な見方をすれば関係があったと言えるのかもしれないし、
その当時のボクの感覚からすると、まったく関係無かったとも言える。
高校時代はバドミントン部だったし、射撃部に入ったのは、
最初に勧誘してくれた先輩が、妙にセールストークが上手かったからで。
もうまったく。ただそれだけなのだ。女子部員が多いからモテるぞ。
運動部の中でも特に女の子に人気の無かったバドミントン部の僕が、
そんなインチキ臭い勧誘に乗ってしまったのも、仕方が無い。
当然、射撃部にかわいい女子はおらず。
積極的な性格じゃなかった僕に、結局いい出会いは訪れなかった。
一方僕には射撃の才能があったようで、腕を上げていった僕は、
四回生の時に初めてオリンピック代表選手に選ばれた。
大学から競技を始めて、こんなに早く上達するヤツは初めてだ。
周りの人たちには何度もそう言われた。
そしてオリンピック本番前。
僕がアメリカ、アトランタに渡り、会場で練習をしていると、
隣のブースから、どこか懐かしい香りが漂ってきた。
この匂いは……
芝生の上を長い影が近付いてくる。
「やぁ太郎」
身長2m近い大男がサングラスを外した。
そこには12年前と変わらぬ優しい笑顔があった。
それからオリンピックというお祭りが終わるまで、
僕と彼は何度も顔を合わせ語り合った。
彼がKGBの任務で日本を訪れていたという事も、
ソビエト連邦の解体後は、ロシア外務省で勤務しているということも、
その時に聞いた。
「あの時の借りは返しますよ」僕は強がって競技に臨んだものの。
結局彼が金メダルを獲り、僕は6位入賞に終わった。
つまり彼があの時、射的で見せた実力は本物だったのだ。
そしてテキ屋のおじさんの予想も――
――その時、オリンピックの舞台で私の隣に立っていたのが、
こちらのセルゲイ・イワノフ氏なのです。
あれから12年。今日私は、この場で旧知のイワノフ氏と共に、
式典に参加させて頂いていることを心から喜んでおります。
イワノフ氏は旧ソ連の解体後、
ロシアと日本の友好関係を深めるために力を尽してこられました。
今回この国後島に水産物飼育加工試験施設を建設する事が出来たのも。
このイワノフ氏の尽力に負う部分が大きいのです。
日本とロシアの技術力を結集し、この施設は建設されています。
再利用出来る資材を最大限に活用し、外壁には外張り断熱工法を用いております。
電力は太陽光発電と風力発電を併用し、
広大な施設内を移動する手段は、EVもしくは電動自転車です。
かように環境問題に対しては十分に配慮しながら、まず先立っては、
ウナギの稚魚の飼育。エチゼンクラゲの食用化を二本柱に、
この施設は稼動してゆく予定です。
今後日本とロシアが共に手を取り合い、北方領土の問題を解決してゆく為にも。
この施設が成功し、日本とロシアの友好の架け橋となることを願ってやみません。
最後に。私の好きな格闘家の言葉で締めさせて頂きたいと思います。
この道を行けばどうなるものか。
危ぶむなかれ、危ぶめば道は無し。
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ。行けば分かるさ。
それではご唱和お願いします。
行くぞー!
1、 2、 3、 ダーッ!
振り上げられた出席者の拳を合図に、テープはカットされた。
出航を祝うリボンのように切れ端が地上を舞う。
この日、国後島に春一番が吹いた。
☆ ☆ ☆
「太郎、とてもいい挨拶だったよ」
そういう彼の髪にも、今では白いものが目立つ。
「ありがとうセルゲイさん」
「まさかキミが政治家になるとは思いもしなかったよ」
「外務官僚時代、セルゲイさんと交流することによって、
僕の中でなにかが変わっていったのかもしれません。
そのお礼という訳ではありませんが、
今日はあなたにプレゼントを持ってきました」
私は懐から取り出した特別仕様の携帯電話を彼に手渡した。
「このマークは――」
「それはジオン軍のマーク。シャア専用携帯電話です。
日本に滞在の時にお使い下さい。僕の番号は既に入っています。
また東京で美味い食事を食べに行きましょう」
「キミはほんとうにロボットが好きなんだね」
彼は昔と変わらぬ温かい笑顔を私に見せる。
「セルゲイさん。ロボットじゃないよ。これはモバイルスーツさ」
時々。僕は少年に戻る。
灰色の空の下、二人の笑い声が響き渡った。
おわり
(※このお話は完全にフィクションです。
実在する名前も出てきますが。
元ネタとはまったく関係がありません)
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これはブログ友達のia.さんにリクエスト……と言うか、
ムチャ振りされて書き上げたお話です。(笑)
詳細はコチラで。
だって!お題が10個っすよ!10個!
1チョコ、2猫、3携帯、4ガンダム、5鰻、
6KGB、7越前クラゲ、8地蔵盆、9外張断熱、10ダーッ。
ダーッってなんなんだよ(笑)
かなり強引でしたが頑張った自分を褒めてやりたいです。
ia.さんありがとね。
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