リフトの営業終了時刻は22:00。
洋平は心の中で呟く。
あと一本行けるか?
従業員はフライング気味に搬器のイスを上げ始めていた。
リフトの建物に備え付けの時計では21:58。
まだ間に合う。
洋平はスムーズなスケーティングでボードを走らせ、乗り場に滑り込んだ。
四人掛けのクワッドリフトの乗車位置には先客が一人。
女性のスキーヤーが待機していた。
相乗りになる。
気配を察した彼女はわずかに左側に寄り、洋平は右側に座った。
ゆっくりと前方に運ばれながら後ろを振り返ると、
ちょうど従業員が通路を締め切っていた。
営業終了。
つまり、洋平たちが今夜最後の乗客だ。
二人を乗せたリフトは徐々に速度を上げ、
闇夜に広がる雪の世界に飛び込んでいった。
☆ ☆ ☆
ゆるやかな風に吹かれた細かい雪がナイター照明の中に浮かび上がり、
次々とゴーグルのレンズにぶつかっては後ろに流れてゆく。
今夜の雪は羽毛のように軽かった。
「下ろします」
洋平は隣のスキーヤーに声を掛け、安全バーを下げた。
「お一人ですか」
そのまま軽い調子で話を振る。
「はい。今日は一人で」
彼女の返事はネックウォーマー越しのせいか、
わずかにコモって聞こえた。かわいい声だ。
白いニットキャップにオークリーのゴーグル。
オフホワイトのフード付きジャケットにすみれ色のパンツ。
力の抜けたウェアの着こなしから見ると、きっと上級者だろう。
「俺も一人なんです。ここにはよく来るんですか」
洋平はフレンドリーな口調で会話を続けた。
「ええ、地元なので仕事の後にいつもナイターだけ滑りに来てるんです」
「羨ましいなぁ。もしかして毎日?」
「週末は混むので、平日を狙って週に三日、四日ですね」
「それはすごい」
「よく来られるんですか?」
「ほぼ毎週来てますね。週末の昼間ばかりでナイターは初めてだけど」
やがてゲレンデの中腹に差し掛かった。
このリフトの距離は約1500m。支柱は25本。
高速リフトだが、山頂までは7、8分かかる計算だ。
「今、コースガラガラだから、ラスト一本は思いっきり――」
13本目の支柱を過ぎた辺りで、洋平の声が途切れた。
リフトが急停止したのだ。
止まった反動で、搬器がゆらゆらと揺れる。
「――おっと」
洋平が隣を見ると、彼女は両手で安全バーを持ち、身体を支えていた。
「止まりましたね」
「誰かが乗り場で――、
いや、俺たちが最後の乗客だから、
山頂の降り場で誰かが転んだのかな」
リフトの乗り場や降り場で、人が転んだ場合、
非常停止ボタンでリフトが止められることがある。
スキーやスノーボードをやる人なら誰でも経験があるだろう。
転んだ人が無事に退避すると、再びリフトが動き出すのだ。
洋介は両肘をバーに掛け、遥か前方をうかがうように身を乗り出した。
もちろん、そんな事をしても山頂の様子は見えないのだが。
「今日そんなに転ぶような初心者の人は居なかったよね?」
「ええ。従業員の人と、常連さんがほとんどだったと思うけど……」
リフトはなかなか動き出さない。
おかしい。
1分。2分と時間は過ぎ。
風の勢いが徐々に強くなりだした。
雪は横殴りの状態で容赦なく吹き付けてくる。
そのまま5分ほど経っただろうか。
「あれって、山頂に居た従業員の人じゃないですか?」
彼女が興奮したように前方を指差した。
二人からぎりぎり見える距離のところを、
一人のスノーボーダーが滑り降りてくる。
「そうだ!」
「おーい!スミマセーン!」
二人はネックウォーマーを下にずらし、大声で叫んだ。
だが従業員は二人の叫び声に振り返ることも無く、
直滑降で通り過ぎ、あっという間に視界から消え去った。
「ちょっとなんで?」
「聞こえてなかったのかな、明らかに俺たち忘れられてるぞ」
その時、ナイター用の照明がスッと落ちた。
幕を下ろしたように辺りは闇に包まれる。
「やだ、どうしよう」
「どうしようって……、どうしよう?」
「そうだ!携帯!」
「あ。俺、クルマに置いてきた」
「わたし、あります」
彼女はグローブを外すと、胸元のポケットを探り、携帯を取り出した。
「ダメ。電源切れてる」
「えー!どうすんの!?」
「どうしよう」
二人は顔を見合わせて凍りついた。
「飛び降りる?」
「ムリムリ。ここ10m以上あるよ。
それにこのリフト下は沢になってるから危険すぎる。支柱に飛び移るか」
洋平は後ろを振り返ったが、支柱は遠く、
とても届く距離ではなかった。
風はますます強くなり、
ネックウォーマーとゴーグルの隙間から頬に吹き付ける雪は、
剃刀のように肌を切り刻もうとする。
「寒くない?」
「一応着込んでますけど。もしこのまま明日まで……」
「考えたくないね」
「でもなんで?普通最終の乗客を確認してリフトを止めるもんでしょ?」
「そうなんだよね。あ。もしかすると――」
洋平は背もたれから後ろに身を乗り出し、
リフトのアームの上部に付いた搬器番号を確認した。
【66】
「やっぱり」
「え?やっぱりって?」
「これのせいだよ」
洋平はそのまま手を伸ばし、番号のプレートを抜き取った。
「ええ!?取れるの?それ」
「そう。俺も昔イタズラしたことあるんだ。
ほら、これをひっくり返すと――」
【99】
「つまり、この搬器、本当は99番なんだよ。
前の搬器の番号は、あー、今ちょっと見えないけど、きっと98番だと思う」
「じゃあ……」
「たぶん下の運転室から、山頂に電話で連絡する時に、
66番が最終だって伝えたんだろうね。本当は99番だったのに。
山頂では、連絡通り66番に乗っていた人が降りたのでリフトを止めた。
それが最後の乗客だと思ってね」
「だからさっきの従業員の人、振り返りもせずに滑り降りていったのね」
束の間の沈黙の中、絶望が生まれそうになる。
「そういえば、今思い出したけど、山頂に居た彼。
リフト小屋の中でヘッドフォン着けてipodいじってたよ。
何本か前にちらっと見たんだ。
きっと音楽を聴きながら滑って降りたんじゃないかな」
「大声で叫んでも気付かない訳だ。でも――」
彼女は洋平のことをどう呼んでいいのか迷っている様子だ。
「あ、僕は木村洋平。洋平って呼んでくれていいよ」
「洋平くん、リフトの事に詳しいね」
彼女は少しはにかみながら洋平の名前を口にした。
「ああ、学生の頃スキー場でバイトしてたからね。
しかし、謎が解けたのはいいけど、どうやって助けを呼ぶかが問題だよな。
このまま凍え死ぬのはまっぴらだ。なんだか腹も減ってきたし」
「あ。わたし、チョコレート持ってるかも」
彼女は再びガサゴソと両胸のポケットを探り出した。
「ダメだー。いつも入れてるんだけど、今日は忘れちゃったみたい」
「あはは。俺もよくポケットに入れて滑るよ。休憩取るのかったるいから。
疲れてくるとリフトでカロリーメイトとかチョコを食べるんだよね」
「一緒!私もそうなの。いい雪なのに休むのもったいないんだもん」
「ははは。そうじゃなきゃこんな最終まで滑らないよね」
緊迫した状況が嘘のように笑いがこぼれる。
雪山を愛する者どうし、二人の距離が一気に縮まったような気がした。
「ちょっと待って」
彼女が洋平の笑いを制した。
ひゅうという風切り音を押し潰すように、地鳴りの様な咆哮が聞こえてくる。
二人が音のする方へ振り向くと、暗闇の中から爛々と輝く二つの目が現れた。
大排気量のディーゼルエンジンの音を轟かせ、
キャタピラで雪を踏み鳴らしながら近付いてくる雪上の怪物。
スノーキャットだ。
「おーい!」
洋平と雪菜は必死に叫んだ。
聞こえたわけではないのだろうが、
強力なヘッドライトが洋平と雪菜を照らし出した。
人工の怪物は唸り声を上げたまま二人の真下で歩みを止め、
ロボットのコクピットのような運転席から一人の男性が降りてきた。
☆ ☆ ☆
「とんだ災難だったね」
「でも助かったから良かったじゃない」
「うん。キャットがゲレンデ整備に来なかったらヤバかったけどね」
「うん。ヤバかったかも」
ゲレンデに隣接するホテルの乾燥室兼ロッカールームで、
二人はホットの缶コーヒーとミルクティを飲みながら、ベンチに座り込んでいた。
「そうだ」
洋平はパンツのカーゴポケットから、
小さな赤い包みを取り出した。
「前に滑りに来た時に入れてたんだ。すっかり忘れてたよ」
「あ。キットカット。いいよね。わたしもよくリフトで食べるよ」
「あげるよ。疲れたし寒かったし、甘いものが欲しくなったでしょ」
「ありがとう。じゃ半分こにしよう」
彼女は包みから出したチョコを半分に割り、
片割れを洋平の口にそっと差し入れた。
「美味い」
「美味しいね」
「そういえば――、
今日。バレンタインデーだよね」
「貰った?」
「あげた?」
「貰ってない」
「あげてない」
「チョコより――」
『パウダー』
当然でしょ?と二人は顔を見合わせ、笑い声を上げた。
会話を重ねるごとにリラックスしてゆく彼女の横顔。
洋平の心の中にふわりと温かいものが浮かぶ。
思わず言葉がこぼれた。
「また今度、一緒に滑ろうよ」
「うん」
彼女は長いまつ毛を伏せ、こくりと頷いた。
おわり
※スノーキャット=雪上車。
(本来、このキャットはキャタピラの意。だと思う)
※パウダー=パウダースノー=粉雪。
これは短編競作企画・参加作品です。
「チョコレート」「猫」「携帯電話」
の三つのお題を使って書いてみました。
(規定枚数超えたかも、スミマセン……)
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