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  「JP」 「糸電話」 「逆向き」 「締め切り」

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「裏の顔」



ただいま。

と言っても返事はない。

人気の無い部屋に男の声だけが空しく響いた。

男の妻は一人娘を連れて、先月、家を出て行った。

離婚届が送られてくるのも時間の問題だろう。

男は手早く背広を脱ぎ、上下黒のウインドブレイカー姿に着替えた。

頭にはNYヤンキースのマークが刺繍された紺色のニット帽を被る。

最後にウインドブレイカーのポケットから取り出した白いマスクを装着した。

部屋の隅に置いた大ぶりのキャンバスバッグを手に取り、男は再び家を出た。

外では既に、日が大きく西に傾いていた。

粒子の粗い写真のようにくすんだ青とオレンジが溶け込む時間帯。

男は片手をポケットに入れ、俯きがちに通りを歩いてゆく。

辺りの民家からは魚を煮付ける香りや味噌汁の香りが漂い、

それらは渾然一体となって男の鼻腔を刺激した。

男はひとつ鼻をすすり、歩みを速めた。

五分ほど歩くと、児童公園が見えてきた。

人気は少なく、枯葉を纏った木々が寂しげに立ち尽くしている。

ほとんどの子供は既に家へ帰り、夕食前にテレビでも見ているのだろう。

公園に居残っているのはほんの数人だった――

と、滑り台で遊んでいた二人の少年が入口に立つ男の脇を抜け、

通りの向こうへ走り去って行った。

残るは砂場に三人。

児童公園の一日の仕事がもうすぐ終わる。

男は敷地内に足を踏み入れ、鉄棒の隣にある砂場へ向かった。

まだ小学校の低学年ぐらいだろうか。

三人の少女がひざまずき一心に何かをこしらえている。

男はポケットに手を入れたまま辺りを見回した。

保護者や大人の姿はまったく見えない。

息を殺し、足音を忍ばせて彼女らの背後へ近付いてゆく。

標的は三人とも何も気付かずに手を動かし続けていた。

男は肩から提げたバックからそれを取り出した。

そして一人の女の子の後ろに立ち、

目の前の布を一気に捲りあげた。

バサッ

「じゃーん」

「キャー!」

「紙芝居のはじまりはじまり〜」










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「ホットリーディング」



「本気で狙いに行くぞ。猪木賞」

次回作についての打ち合わせの最中、

私の口からこぼれた言葉に、西村の動きが止まった。

「このまま自分のスタイルで書き続けても、

まったく獲れそうな気がしないんだよ。

もう三回も落選してるからなぁ」

「獲れたじゃないですか、ベストジーニスト賞。

今年はベストファーザー賞も――」

「バカ野郎!」

私の投げつけた新聞を西村がヘッドスリップで避けた。

くそ。ボクサー崩れめ。

「でもセンセイ、狙って獲れるもんじゃないでしょう。

とにかくいい作品を書くしかないんじゃないですか?」

西村はフローリングの床に落ちた新聞を拾いながら正論を言う。

「そこでいい考えがあるんだ」

「いい考え?」

西村は私につやつやとしたミカンを一つ手渡しながら訊き返した。

「いいか西村。テレビに出てる占い師のババアや、

スピリッチュアルカウンセラーのブタがいるだろう?

あいつらは番組の中で芸能人や一般出演者の過去や悩みを

ズバリ言い当てて自らの能力をアピールしているが、

あんなものは全部まやかしでな。

実際には予め、出演者の周辺に調査員を送り込んで、

家族構成から普段の生活まで調べ上げているんだよ」

「ああ、最近週刊誌なんかで書かれてますよね」

「いわゆる『ホットリーディング』ってヤツだな。

昔よく出てた霊能者なんかもこの手口を使っていたらしい。

まぁとにかくだ。私もこの手を使ってみようと思うんだ。

つまり猪木賞の選考委員の好みやツボを徹底的に調べつくして、

そこをピンポイントに攻めるような作品を書くのさ。どうだ?」

「うーん……、いいと思いますけど、

その調査は誰がやるんです?」

「お前だよ」

「ええ!?ムリですよぉ。編集者は探偵じゃないんですから」

「そこをなんとかせい!」

私が投げつけたミカンの皮を西村はダッキングで避けた。

くそ。こいつディフェンスだけは一流だな。

「わ、分かりましたよ。でも具体的にどうするかが問題ですよね」

「まずナベジュン先生には若いオンナを一人送りこんで、

枕元で私の作品をさりげなくアピールさせるだろ――」

「それってホットリーディングじゃなくてハニートラップじゃないですか」

「いいんだよ。そこは別腹だ」

作家でも無いくせに言葉にうるさいヤツだ。

「まぁ全員で選考委員は9人だからな。

お前一人では大変だろうし、知り合いの探偵事務所を紹介するから、

そこの連中と協力してやってくれ、任せたぞ」

「はぁ。なんとかやってみます」

渋い顔をしながら西村は頷いた。

「ところでセンセイ、来月発表する新人賞の選考の件ですが、

候補作は読んでくださいましたか?」

「ああ。一通り読んだよ」

「気になる作品はありました?」

「●●はまぁまぁだったね」

「そうですか……、ちなみに今若い世代では、

○○さんの評価が高いんですよねぇ」

「へぇ。でも○○は文章が無茶苦茶じゃないか。あれはダメだろう」

「いえいえ、あの計算ずくの歪んだ文体が今、若者の心を叩いているんですよ。

オヤジ世代には分からない文学だ!ってネット上ではかなり話題になっています」

「そうなのか?」

「もし選考会でセンセイが○○さんの作品を高く評価したら……。

きっと若者の間でセンセイは絶賛されるでしょうね」

「なるほどな。まぁ私は若者文化に流される人間ではないが、

もう一度彼の作品には目を通しておくよ」

危ない危ない。○○と言えば、

選考会でこき下ろすつもりだったヤツじゃないか。

「ではセンセイ、今日は僕、そろそろ失礼しますね。

ホットリーディング作戦の件はまた連絡いたしますので」

「ああ。分かった。私も探偵事務所に連絡しておくよ」


 ☆  ☆  ☆


西村は後ろ手にドアを閉め、

懐から携帯電話を取り出した。

「もしもし?あ、○○さん?

ええ、なんとか上手く行きそうですよ。

次は△△センセイのところへ行きますので。はい――」











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