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「瞬く閃光」



ぽっと一瞬。暗闇に赤い火が灯る。

今夜も俺はベランダで煙を燻らしていた。

嫌煙家の嫁を持つと本当に大変だ。

家を出たところで。

最近は駅や公共施設等での喫煙スペースも減っている。

会社内は当然のように全面禁煙。喫煙室すらない。

オフィスビルが立ち並ぶ目の前の通りは路上喫煙禁止区域に指定されていた。

まったく愛煙家には肩身の狭い世の中だ。

会社の近くのカフェで一服するのが唯一の楽しみだったのだが、

なんとこの店まで今週から終日禁煙にするというではないか。

禁煙禁煙禁煙禁煙。

嫌煙嫌煙嫌煙嫌煙。

高い税金を払ってやってるのに、この仕打ちはなんなんだ。

もはや俺の聖域は我が家のベランダだけになってしまった。

怒りを通り越して切なくなってくる。

俺は手すりから身体を離し、

ふぅっと大きく煙を吐き出した。

母ちゃん。ごめんなベランダで。

あいつ、煙ダメなんだよ。

俺は線香に火を点け。

仏壇に手を合わせた。











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「紫の煙」



バンドやろうぜ。

タイジがそう言い出したのは一週間前だった。

唐突に。電話で。

なんかさNHKでジミヘンの特集やってんの観てたら血が騒いじゃってさ。

だとよ。

昔からそうだった。タイジとは学生時代にバンドを組んでいたが、

こいつときたら、街中でやってる中坊の弾き語りを見ただけで、

赤血球と白血球がサンバを踊りだすほど単細胞なのだ。

お前そんな簡単に言うけどギター触ってんのかよ?

へへへ。ジミヘンの番組観た次の日にレスポール買っちゃったもんね俺。

なんと言う尻の軽さ。

バーニーやグレコじゃねーぞ。ギブソンだ。ギブソン様だ。

お前なぁジミヘン観て刺激受けたんならストラトだろうよ。

いや俺はジミーペイジ派だからな。

まったく会話にならない。

キース!キース!つってテレキャス使ってたヤツはどいつだ。

まぁいいよ。じゃとりあえずスタジオでも入ってみるか。

ああ。曲はどうする?何?ツェッペリンとパープル?

分かった。じゃ来週の土曜な、15時。ああ頼む。じゃあな。

ジミヘンはどこに行ったんだよ。

まぁあの世で気持ちよくなってんだろうけど。

約束当日。

オレはギターケースを片手に学生時代を懐かしみながら心斎橋を歩いていた。

この辺りも変わったもんだ。

あった筈のビルがなくなりコインパーキングになっていたり、

じいさんばあさんが細々とやっていたお好み焼屋が、

兄ちゃん姉ちゃんの集うお洒落なカフェに変わっていたり。

店も人も総入れ替え。

10年も経てば忙しない街は皆そうなる。

あの日、タイジの電話を切った後。

部屋の隅で埃を被っていたケースを雑巾で拭き、

久々にフライングVを弾いた。アンプには繋がず生音で。

座ったままだと弾きにくい。だがそこがVのいいところだ。

不便なぐらいが丁度いい。車でもなんでもそうだ。

ラジオでかかっていたスティーヴィーレイヴォーンに合わせて、

チョーキングやビブラートを繰り返すうちに軟弱になった指先が悲鳴を上げた。

それから毎日弾くと三日後に皮が剥けた。男は皮が剥けてナンボなんだよ。

タイジのバカな台詞が頭をよぎる。剥けてないお前が言うな。

心の中でそう言い返してやった。

スタジオの入っているビルの前に辿り着いた。

さっきまでかろうじて居残っていた太陽は姿を消し、

空には無愛想な灰色の雲が広がっていた。

今日は晴れだと言ってたのに。

近頃の天気予報は下手糞なオレの競馬並みに当たらない。

スタジオはビルの地下にある。

このビルは何も変わっていなかった。

クリーム色を紙やすりで剥がしたような壁。

錆びた鉄の一本足、腰ぐらいの高さにある真四角の看板。

白地に黒で書かれたまるで目立たない文字。

【Studio Hey Joe】

そういやここのオヤジもジミヘン好きだっけ。

オヤジ元気にしてるかな。

どうせタイジは遅刻してくる。

今の時刻は15:02。

タイジが15:00と言ったら、スタートは15:30だ。

ヤツのルーズさは死ぬまで直らないだろう。

オヤジと昔話する時間は十分ある。

オレは埃の積もった階段を一段ずつ静かに降りていった。

おう。久しぶりだねぇ。

すっかり大人になっちゃって。

いえいえ。中身はあの頃のままですよ。

髪は多少キテますけど。

ははは、あれだけ派手に染めてたもんなぁ。

今日は?四人?

いえ、タイジとオレ。二人だけです。

そうか。二人ともギターだったね。

なんなら俺が叩こうか?ベースでもいいけど。

いいんですか?

ああ。最近はDJブームとかで、バンドやる子も減っちゃってね。

暇なもんだよ。君たちの頃がピークだったかも知れないね。

そうですか・・・・・・

タイジではないがスタジオを前にすると血が騒いだ。

じゃ早速、音出させてもらいますね。

うん。俺もすぐ行くよ。ええと、スティックどこやったかな――

ガチャリ。

重く分厚い防音のドアを開け、

オレはあの頃の空気を胸いっぱいに吸った。

むせた。

忘れてた。ここはすこぶる空気が悪い。

埃っぽいわ。禁煙の筈なのにタバコ臭いわ。

まぁスタジオなんて、これぐらい荒んだ感じの方が雰囲気は出るのだが。

年甲斐も無く、甘酸っぱいような、こそばゆいような、

妙な感覚が胸の奥底に沸いた。オレらしくもない。

懐かしい手触りのツインリヴァーブにシールドを差し込み、

オレはジミの曲を弾き始めた。

音圧を身体全体で受け止め、目を瞑っていると、

いつの間にか隣でオヤジがドラムを叩いていた。

ルーズで心地良いリズム。

VoodooChild〜PurpleHaze〜指はなまっているが、

大音量でこいつを掻き鳴らすのは快感だった。

デタラメな英語の歌詞を口ずさみながら、

ドラムセットの陰に隠れたオヤジをちらりと見る。

目を閉じ、陶酔したようにスティックと頭を振っている。

やはりジミの音楽には人を揺さぶる何かがある。

オヤジと目で合図し、

Angelのイントロ、アルペジオを弾き始めたところでドアが開いた。

膨らんだ風船を針で突ついたように、

部屋の中に充満していた音の煙と「何か」が一気に弾けた。

おい。ここじゃねぇって。上だよ上!

お前何やってんだよこんなとこで。

この部屋はもう使ってないんだってよ。

経営者も変わって、今は二階で――

ピックを持った右手で、

オレはタイジのガサついた声を遮った。

バカか。ほら、今だってオヤジとジミヘンを――

振り返ったオレの目に映る空白。

床の上には穴の開いたバスドラが転がり、

傾いだステンレスの枝先では、割れたシンバルが枯葉のようにゆらゆらと揺れていた。

さっきまで確かに部屋の中に居たジミは、煙と共に消えた。










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