バンドやろうぜ。
タイジがそう言い出したのは一週間前だった。
唐突に。電話で。
なんかさNHKでジミヘンの特集やってんの観てたら血が騒いじゃってさ。
だとよ。
昔からそうだった。タイジとは学生時代にバンドを組んでいたが、
こいつときたら、街中でやってる中坊の弾き語りを見ただけで、
赤血球と白血球がサンバを踊りだすほど単細胞なのだ。
お前そんな簡単に言うけどギター触ってんのかよ?
へへへ。ジミヘンの番組観た次の日にレスポール買っちゃったもんね俺。
なんと言う尻の軽さ。
バーニーやグレコじゃねーぞ。ギブソンだ。ギブソン様だ。
お前なぁジミヘン観て刺激受けたんならストラトだろうよ。
いや俺はジミーペイジ派だからな。
まったく会話にならない。
キース!キース!つってテレキャス使ってたヤツはどいつだ。
まぁいいよ。じゃとりあえずスタジオでも入ってみるか。
ああ。曲はどうする?何?ツェッペリンとパープル?
分かった。じゃ来週の土曜な、15時。ああ頼む。じゃあな。
ジミヘンはどこに行ったんだよ。
まぁあの世で気持ちよくなってんだろうけど。
約束当日。
オレはギターケースを片手に学生時代を懐かしみながら心斎橋を歩いていた。
この辺りも変わったもんだ。
あった筈のビルがなくなりコインパーキングになっていたり、
じいさんばあさんが細々とやっていたお好み焼屋が、
兄ちゃん姉ちゃんの集うお洒落なカフェに変わっていたり。
店も人も総入れ替え。
10年も経てば忙しない街は皆そうなる。
あの日、タイジの電話を切った後。
部屋の隅で埃を被っていたケースを雑巾で拭き、
久々にフライングVを弾いた。アンプには繋がず生音で。
座ったままだと弾きにくい。だがそこがVのいいところだ。
不便なぐらいが丁度いい。車でもなんでもそうだ。
ラジオでかかっていたスティーヴィーレイヴォーンに合わせて、
チョーキングやビブラートを繰り返すうちに軟弱になった指先が悲鳴を上げた。
それから毎日弾くと三日後に皮が剥けた。男は皮が剥けてナンボなんだよ。
タイジのバカな台詞が頭をよぎる。剥けてないお前が言うな。
心の中でそう言い返してやった。
スタジオの入っているビルの前に辿り着いた。
さっきまでかろうじて居残っていた太陽は姿を消し、
空には無愛想な灰色の雲が広がっていた。
今日は晴れだと言ってたのに。
近頃の天気予報は下手糞なオレの競馬並みに当たらない。
スタジオはビルの地下にある。
このビルは何も変わっていなかった。
クリーム色を紙やすりで剥がしたような壁。
錆びた鉄の一本足、腰ぐらいの高さにある真四角の看板。
白地に黒で書かれたまるで目立たない文字。
【Studio Hey Joe】
そういやここのオヤジもジミヘン好きだっけ。
オヤジ元気にしてるかな。
どうせタイジは遅刻してくる。
今の時刻は15:02。
タイジが15:00と言ったら、スタートは15:30だ。
ヤツのルーズさは死ぬまで直らないだろう。
オヤジと昔話する時間は十分ある。
オレは埃の積もった階段を一段ずつ静かに降りていった。
おう。久しぶりだねぇ。
すっかり大人になっちゃって。
いえいえ。中身はあの頃のままですよ。
髪は多少キテますけど。
ははは、あれだけ派手に染めてたもんなぁ。
今日は?四人?
いえ、タイジとオレ。二人だけです。
そうか。二人ともギターだったね。
なんなら俺が叩こうか?ベースでもいいけど。
いいんですか?
ああ。最近はDJブームとかで、バンドやる子も減っちゃってね。
暇なもんだよ。君たちの頃がピークだったかも知れないね。
そうですか・・・・・・
タイジではないがスタジオを前にすると血が騒いだ。
じゃ早速、音出させてもらいますね。
うん。俺もすぐ行くよ。ええと、スティックどこやったかな――
ガチャリ。
重く分厚い防音のドアを開け、
オレはあの頃の空気を胸いっぱいに吸った。
むせた。
忘れてた。ここはすこぶる空気が悪い。
埃っぽいわ。禁煙の筈なのにタバコ臭いわ。
まぁスタジオなんて、これぐらい荒んだ感じの方が雰囲気は出るのだが。
年甲斐も無く、甘酸っぱいような、こそばゆいような、
妙な感覚が胸の奥底に沸いた。オレらしくもない。
懐かしい手触りのツインリヴァーブにシールドを差し込み、
オレはジミの曲を弾き始めた。
音圧を身体全体で受け止め、目を瞑っていると、
いつの間にか隣でオヤジがドラムを叩いていた。
ルーズで心地良いリズム。
VoodooChild〜PurpleHaze〜指はなまっているが、
大音量でこいつを掻き鳴らすのは快感だった。
デタラメな英語の歌詞を口ずさみながら、
ドラムセットの陰に隠れたオヤジをちらりと見る。
目を閉じ、陶酔したようにスティックと頭を振っている。
やはりジミの音楽には人を揺さぶる何かがある。
オヤジと目で合図し、
Angelのイントロ、アルペジオを弾き始めたところでドアが開いた。
膨らんだ風船を針で突ついたように、
部屋の中に充満していた音の煙と「何か」が一気に弾けた。
おい。ここじゃねぇって。上だよ上!
お前何やってんだよこんなとこで。
この部屋はもう使ってないんだってよ。
経営者も変わって、今は二階で――
ピックを持った右手で、
オレはタイジのガサついた声を遮った。
バカか。ほら、今だってオヤジとジミヘンを――
振り返ったオレの目に映る空白。
床の上には穴の開いたバスドラが転がり、
傾いだステンレスの枝先では、割れたシンバルが枯葉のようにゆらゆらと揺れていた。
さっきまで確かに部屋の中に居たジミは、煙と共に消えた。
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