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「夕焼け」6



夕日に照らされた古い木造アパートの戸口で、

優介は立ち尽くしていた。

あの日以来昼夜を問わず、

忌わしい記憶と答えの出ない疑問が

優介の頭の中を支配し続けている。

あれは放火だったのか?

それとも――

「妹尾さん?」

優介は我に返った。

「実は、これなんです」

彼女はバッグから一枚の画用紙を取り出していた。

「それは?」

優介が尋ねると、彼女は優しく丸めた紙を自らの胸に当てた。

「正直言って、これを妹尾さんにお渡ししていいのか迷いました。

私の胸の内だけに留めておくべきなのかも知れない。

でも、これが優花ちゃんからお父さんに向けた

最後の言葉だとしたら・・・・・・

やはりお渡ししておかなければと思い、今日伺ったんです。

内容は私しか知りませんし、園内の誰にも相談していません。

遅くなって本当に申し訳ありませんでした」

彼女は一つ一つの言葉を噛み締めるようにそう言った。

「これは丁度、あの日の前日に優花ちゃんが書いたものです。

父の日にそれぞれが持ち帰り、お父さんに渡す予定でした。

それが私の手で渡す事になってしまって、本当に――」

最後は言葉になっていなかった。

彼女は化粧が乱れるのも気にせず手の甲で目元を拭った。

優介は黙ったまま画用紙を受け取った。

広げた画用紙の一番上には、

優介の顔が鮮やかな色彩で描かれていた。






 だいすきなパパへ

ゆうかはパパがだいすきです

パパはいつもゆうかをだっこしてくれます

パパはゆうかにたくさんおはなししてくれます

いまはおみせがいそがしいからあそんでくれないけど

ずっとまえゆうかとママとパパでどうぶつえんにいきました

ママのおべんとうがおいしかたです

パパとママとまたどうぶつえんにいけるかな

ゆうかはまたいきたいです

おみせがなくなったらパパつかれないかな

またゆうかとたくさんあそんでくれるかな

パパいつもありがとう

ゆうかはパパがだいすきです


 せのおゆうか
  






ぽとりと落ちた雫で文字が滲む。

優介は画用紙の上に顔を埋め、がくりとその場に崩れ落ちた。





   了






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「夕焼け」5


「おい、ちょっとみんな静かに!」




「ほら、聞こえないか?」

幹事の男は膝立ちになり、親指で後ろの窓を指した。

その場にいる全員が声の方を向き、座敷に静けさが広がった。




かすかにサイレンの音が聞こえてくる。

「ありゃなんだ。救急車か?」

「いや、消防車だろ」

「おい、また放火じゃないのか!?」

先ほどの会合でも放火犯への注意が呼びかけられたばかりだった。

その場が一気にざわつく。

皆が腰を上げ窓の側へ集まった。

サイレンの音は徐々に大きくなる。

座敷のある部屋が通りの反対側に位置していた為、

窓から消防車の姿は確認出来なかったが、

数台が店の前を通り過ぎていったようだ。

東の方向へ――

優介の胸の鼓動が速くなる。

「す、すいません、先に失礼させてもらいます」

そう言い放つと、優介はジャケットを掴み、座敷を飛び出した。

周りの者は皆呆気に取られ、優介に声を掛ける者は一人も居なかった。

階段を一段飛ばしに駆け下り、転がるようにして店の外に出た。

通りの遥か向こうから、まだかすかにサイレンの音が聞こえてくる。

店の前の歩道に止めておいた自転車に飛び乗り、

優介は自宅の方向へ猛然と漕ぎ出した。

まさか・・・・・・

店の前に燃えやすい物など何も置いていない。

火の元は完璧に確認した。

もうストーブなど使う時期でもない。

絶対にうちでは無いはずだ。

すでにサイレンの音は止み。その代わりに、

人々の叫び声や怒声が絡み合ったようなざわめきが耳にフェードインしてくる。

前方に野次馬らしい人ごみと、黒煙に侵食されている夜空が見えた。

優介は絶望の淵に落とされた。

もう間違いない。

うちの家だ。

風に流されてくる煙にむせそうになる。

この距離でも頬に熱が感じられた。

優介は消防車の周りを取り囲む人ごみの側で自転車を放り出した。

声にならない声をあげながら、制止線をくぐり抜ける。

「危ない!後に戻って!」

もつれるような足取りで走り寄る優介に気付いた消防隊員が

両手を広げ、行く手を防ごうとした。

「俺の家なんだ!中の二人は!? おい!妻と娘は!?」

優介は隊員の襟首を掴み、前後に激しく揺すった。

「ご、ご主人ですか?」

「だから中の二人は!?おい!答えろっ!」

がっしりとした体躯の消防隊員は強い力で優介の両手首を掴んだ。

「我々が到着した時には既に2階まで火が回り、

中に入れる状況ではありませんでした。

まだ確認は取れませんが、もしお二人が2階に居たのなら――」

そこで言葉は途切れ、消防隊員はゆっくりと首を横に振った。

「嘘だ!そんなはずがない!」

優介は男の手を振り払うと、

煙をもうもうと吐き出している店の入り口に走った。

中に飛び込もうとする優介の身体を、

近くにいた別の消防隊員が羽交い絞めにする。

「優花っ!礼子っ!」

様々な音と匂いが交じり合い混沌とする中、

優介の叫び声だけが煙と炎に染められた夜空にいつまでも響き渡っていた。


















 「夕焼け」6へ続く

posted by layback at 00:01
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