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「雨ゴイ」


またか。

裕樹の頬に、ポツリと雨粒が落ちた。
毎回毎回、マンションを出るのを見計らったようなタイミングで、
雨が降り出すのはいったいどういう事なのだろう。

そのまま駅まで走ろうかとも考えたが、この雨足の強さでは厳しい。
せめて駅まで持ってくれればなぁ。と思う。
だが、頭の中で愚痴っていてもしょうがない。

裕樹は、くるりと踵を返し、マンションの階段を駆け上がった。
焦りながら鍵を開け、靴箱の横の傘立てから紺色の傘を抜き取る。

あ。携帯もか。良かった。思い出して。
昨日の夜、携帯電話をノートパソコンのUSBポートに繋いで充電したままだった。
急いで靴を脱ぎ、リビングに向かう。

え?

裕樹は自分の目を疑った。
なんと、部屋の真中に敷いたラグの上に、白い着物姿の女が座っているのだ。

女は顔の前で、白いヒラヒラの付いた棒を振りながら、ぶつぶつと謎の言葉を呟いていた。
肩口で切りそろえられた艶やかな黒髪。目を瞑ったままの横顔が妙に青白かった。

「お、おい」

裕樹は恐る恐る女に声を掛けた。
はっ。と驚いた顔つきで女が振り向いた。
のっぺりとしていて地味で抑揚が無くて地味でどう考えても見たことの無い地味な顔。

「あんた、誰?」

裕樹がそう尋ねても、女は呆然と裕樹の顔を見つめるだけだった。

「いやいや、黙ってても分かんないでしょ?」

「す、すみません」

女は慌てて頭を下げた。

「ええっと、すみませんじゃないよね?」

裕樹はいらいらする気持ちを隠しもせずに、頭の後ろをかいた。

「ここは俺の家だよ。あんた、いったいどこから入り込んだの?
泥棒さん? それにしちゃその着物姿はおかしいよね。いったい何が目的?」

「あ、あのぉ、実は――」

「あーダメだ、遅刻しそうじゃん」

裕樹は腕時計に目をやると、ため息をついた。

「今日の会議は外せないんだよ。
もういいからさ、とにかく出てってくれる? 
ほれほれ、さっさと立ち上がって」

裕樹が両手を下から上へ扇ぐようにして急かすと、女は素直に立ち上がった。

「失礼します」

女は深くお辞儀をした後、大人しく玄関から出て行った。
まったく。なんなんだ? 弘樹はキツネにつままれたような気分だった。

そうだ。携帯だ。
裕樹はパソコンデスクの上の携帯を掴み、部屋を後にした。
女の姿は、廊下にも表にも、もうどこにも無かった。


  ☆   ☆   ☆


一週間後。

裕樹がいつものように家を出ると、ポツリポツリと雨粒が落ちてきた。
ちぇっ。しばらく晴れた日が続いたと思ったらこれだ。
いつも折り畳み傘を持ってればいいんだよな。
いや。そんなしみったれた男になったらダメだ。

なんだそれ。

裕樹は心の中で一人、漫才じみた会話をしながら部屋へと舞い戻った。
ドアの隙間から手を伸ばし、傘を取ろうとする。

ガタッ。

リビングから物音がした。まさか……。
掴みかけた傘の柄を離し、靴のままそろりと部屋に上がる。
首を伸ばし、間仕切りの奥を覗き込んだ。嫌な予感は的中するものだ。
そう。またもや、あの女がラグの上で正座していたのだ。

「おい」

びくっと女の両肩が上がった。

「何やってんの? せっかくこの間は見逃してあげたのに。何考えてんだよ」

「……」

「ねぇ、黙ってても分かんないよ。
ほら説明しな。今日は俺、少しぐらい遅れても平気だし。
ここでじっくりと理由を聞かせてもらうからさ」

女は最初、湿った目つきで裕樹の顔を見上げていたが、
やがて諦めたように頷くと、ぽつりぽつり、言葉をこぼし始めた。

「私のこと、覚えてますか? 平山センパイ」

「は?」

裕樹は驚いた。

「なんで俺の名前知ってんの? あ、表札見たからか。いや、でも先輩ってなんだ?」

「やっぱり覚えてないですよね……、私の事なんか……」

「て言うか。会った事無いでしょ? 何言ってんの」

「ひどい」

女は青白い顔を着物の袖に埋めた。

「ちょ、ちょっと、何で俺が女の子をいじめるS男みたいな設定になってるんだよ。
おかしいだろ? キミの言い草って」

裕樹の言葉を受け、顔を上げた女の目に、きらりと光が宿る。

「センパイが高校3年の時のバレンタインデー。私はサッカー部の練習が終わるのを、ずっと校門の前で待ってたのに、センパイは私が差し出したチョコをちらっと見ただけで、受け取りもせず、他の人たちと笑いながら帰っていきましたよね。私、あの日から体調を崩して、学校に行けなくなりました。そのまま自主退学して、何年か引きこもりを続けた後、もう何もかもが嫌になっちゃって、私、自分で手首を――。
とっくに卒業してたセンパイは私が自殺した事なんか知らなかったですよね。大学サッカーでも活躍してて、かわいい恋人を連れてるセンパイ。一流企業に就職して、順風満帆な人生を歩んでいるセンパイ。私、死んだ後も、そんなセンパイの事ずっと見てました。でも悔しくて。自分が可哀想で。少しだけ意地悪してやろうと思っただけなんです。センパイが家を出ようとすると、よく雨が降るでしょう? あれ、実は私の仕業なんです。でも、謝りません。それぐらい、私の悲しみに比べたら……。
どうです? 少しは私の事、思い出しましたか? 平山センパイ」

「うーん……、そんな事あったっけ?」

裕樹のさらりとした返答に、女はショックを隠し切れない様子だった。
ここはウソでも、思い出した! というべきだったか……。
裕樹は記憶を探る風を装い、顎の下に手をやる。

「いや、そういえば、なんとなく記憶の底に――」

「もういいんです。私もそろそろこちらの世界に来るのが、難しくなってきました。最後にセンパイとお話が出来て良かったです。それが私の夢でしたから。それではセンパイ。お元気で……」

女はそう言い残すと、ふっと吹かれた蝋燭の火のように姿を消した。

夢。じゃ無いよな。裕樹は自分の頬をつねる。普通に痛かった。
なんだよ。あいつ。変なヒラヒラ付きの棒忘れてるし。
それにしても、こんな事、誰に言っても信じてもらえないぞ……


  ☆   ☆   ☆


一ヵ月後。

お。雨か?
マンションからちょうど出たところで、裕樹の頭を雨粒が叩いた。
あの女が消えてから、しばらく降ってなかったのにな。
裕樹は一段飛ばしで階段を駆け上がり、自宅のドアを開けた。

うわっ! 裕樹は飛び上がった。

「お、お前、何してんだよ!?」

まただ。目の前にまたもや、あの女が。
しかも今日は超至近距離。上がり框の所で正座をしている。

「センパイ。お久しぶりです」

「あ、ああ。久しぶり。あれか? あの忘れ物を取りに来たのか? あれなら――」

「センパイ。黙って私の話を聞いてください」

今日は胸に断固たる決意を秘めて来たと言わんばかりの表情である。

「どうした? そんな怖い顔して」

「センパイ。今日は何も訊かずに会社を休んでください。
いえ、と言うより、今日は会社に行く必要はありません」

女はきっぱりと言い切った。

「は? ダメダメ。何言ってんの。今日も外せない会議があるんだって」

「ダメです」

いつのまにか、女の青白い頬を、涙が伝っていた。

「ちょ、ちょっとおい。袖を掴むなよ、お前力強いな。ホントに行かなきゃダメなんだって!」

「いけません」

「おい――」

「お願いします、センパイ。これが最後ですから、もう二度と現れませんから」

眉毛をハの字に下げ、地味な顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、女は裕樹の袖を引っ張り続けた。

「ちょっと、待ってくれ」

裕樹は女を制止し、腕時計に目をやった。

「ほら、そんな事言ってる間に快速逃がしたじゃん!
あーダメだ。もう絶望的。絶対間に合わないよ……。
はぁー。分かった、もう分かったから、電話だけ入れさせてくれ」


  ☆   ☆   ☆


「おいおい、課長えらい剣幕だったよ。どうしてくれるんだ、まったく。
まぁインフルエンザかも知れませんって言っといたから、なんとかなると思うけど。
なんだか疲れちゃったな。君も泣き疲れただろ? とりあえず中に入ろうよ。ね?」

「はい」

「なんか飲む?」

「いえ」

「コーヒーでいい?」

「紅茶でお願いします」

「……意外と自己主張するんだな」

 
  ☆   ☆   ☆


ティーカップから立ち昇る湯気が、二人の間の緊張感を少しだけ緩めたようだ。

「ありがとうございます。美味しい」

女はティーカップを大事そうに両手で包み込んでいる。

「まぁティーバッグだけどね。はぁー。それにしても何だったの? 今日の騒ぎは。
俺としては、納得のいく説明を聞かせてもらいたいんだけど」

「あのぉ。センパイ。テレビ点けてもいいですか?」

「ん? ああ、いいよ。そこにリモコンあるでしょ。ソファーの隅」

「ありがとうございます」

彼女の白い手でリモコンが操作され、テレビの音が賑やかに流れ出す。

「それで―― え?……、おい、これ、今映ってるのって……」

裕樹の目が画面に釘付けになった。

「ええ、センパイが乗ろうとしてた電車です」

女は裕樹をまっすぐに見つめたまま頷いた。

『臨時ニュースが入りました。
ついさきほどJR○○線○○駅と○○駅の間で、
○○行きの快速急行が脱線事故を起こした模様です。
事故の規模はまだ分かりませんが、多数の死傷者が出ているとい――』

「おい。お前もしかして……」

「センパイ。紅茶美味しかったです。本当にありがとうございました。私、もうこちらの世界には来れそうにありません。悲しいけど、これで本当にお別れです。ご迷惑おかけして、どうもすみませんでした」

女はラグに両手を突き、ゆっくりと頭を下げた。

「そ、そんな事言わずにまた、たまには遊びに来いよ、
今度は、美味しい紅茶を用意しとくからさ、
ティーバックじゃないヤツ! な? な? だから――」

「ありがとうございます」

女の頬がほんの少しだけ緩み、ぽっとほのかな赤みが差した。

「あ。そうだ。忘れ物」

彼女は、急に思い出したように、懐から薄い包みを取り出した。
ハート柄の包装紙の上に、ピンク色のリボンが十字にかけられている。

「季節外れでごめんなさい、私、センパイに会えて良かった――」

徐々に女の身体が透き通ってゆく。

裕樹の伸ばした手がむなしく空を切る。

彼女は最後に微笑を残し、空気にすうーっと溶け込んだ。

コツリと音を立て、チョコの包みが床に落ちる。

裕樹がへたり込んだリビングには、

何度も繰り返される臨時ニュースが空しく響いていた。











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「クローズ」



図書館の窓際の席で読書をしていると、

ふと肩口の辺りに視線を感じた。

振り返ると彼がいた。

彼は首をかしげて私の方を見ていた。

だが睨みつけるという様子ではない。

ただ見ているだけだよ。

ガラス玉のように透き通った瞳はそう語りかけていた。

流線型の身体に纏った黒ずくめの衣装には汚れやほつれなど一切無く、

その滑らかな表面は、陽の光を浴び、

思わず指で触れたくなるような光沢を放っていた。

そのまま足元に目をやると、

意外なほど鋭い鉤爪がテラスの手すりを掴んでいる。

窓の外で羽を休めている彼と私との距離は約1m。

これほど近い距離で観察するのは初めてだった。

日頃は、マンション前のゴミ捨て場で残飯を漁り、

ギィギィと曇りガラスを引っかくような声色で鳴く下品な姿に

嫌悪感を抱いていたのだが、こうして近くでじっくり見てみると、

なかなかどうして、気品すら感じさせるではないか。

カラスがかくも美しい鳥だったとは。

目を合わせたまま数秒が過ぎる。

彼はふっと目を逸らし、それからしばらくの間、

眼下の世界を悠然と見下ろしていた。

ここは建物の五階である。

ちっぽけな人々や家々を見て楽しんでいるのだろうか。

私が読書に戻ろうとすると、彼はにわかに口を開き、

何やら丸い物体をテラスの外に向けて吐き出した。

なんだろう今のは。

どうしても気になった私は立ち上がり、

アルミ製のサッシを開けた。

途端、彼は飛び立った。

外に出た私は、彼の起こした羽風に顔をしかめながらも、

手すりから身を乗り出し、テラスの下を見下ろした。

ちょうど真下にある人工池に丸い物体は落ちたようだ。

水面に波紋が広がっているのが遠目にも分かる。

しかし池の周りに居た子供達は、

何事も無かったかのように遊び続けている。

普通なら気付くだろう?

いったい――

と、太陽に照らされていた地面に影が現れた。

そういえば今日は午後から曇りだと予報で言っていたっけ。

空を見上げると、太陽に大きな灰色の雲が迫っていた。

ん?

太陽のすぐ側に黒い点が見えたような気がした。

目をぱちくりとする。さっきの彼か?

いや違う。

黒い点は、やがて豆粒になり。

十円玉。

テニスボール。

グレープフルーツ。

バスケットボール。

どんどんと大きさを増してゆく。

球状の物体は輪郭に炎を纏っていた。

ゴォォォォォォォォォォォォォォォォ

身体が建物ごと震えだす。

地鳴りの様な音が近付いてくる。

巨大な黒い影は地表を覆いつくした。










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