今日こそは――
妻が寝静まったのを確認して、
私はそろりとベッドを抜け出した。
暗闇の中、感覚だけを頼りに部屋を出る。
カチャリ。
閉じたドアの音にヒヤリとしたが、
どうやら妻が起き出す気配はない。
足音に気を付けながら廊下を進む。
突き当たりにあるドアを開け、
手探りで壁際のスイッチを押した。
闇は消え去り、書斎が姿を現す。
デスク前のイスに腰を下ろし、
引き出しから空っぽのガラス瓶と、
スタンド型の鏡を二つ取り出した。
今日こそは悪魔を捕まえて、
願いを叶えてもらうのだ。
昔読んだ短編小説に、
悪魔の捕え方が載っていた。
夜の0:00きっかし。
合わせ鏡の間を通るそいつを捕まえる。
そうすると、悪魔は命乞いをし、
一つだけ願い事を叶えてくれるそうだ。
痣だらけの身体をさする。
これで、あんな暴力妻ともおさらばさ。
デスクの隅に置かれたデジタル時計の数字が、
刻一刻と明日に近付いてゆく。
23:58
まだだ、落ち着け。
23:59
感覚が研ぎ澄まされる。
ふぅ〜。
出たっ!
「ほっ」
やった!
捕まえた。
あまりにもスピードが速く、見切れなかったが、
咄嗟に出した右手の中に、
向こうから飛び込んでくれたようだ。
確かに握った拳の中に感触がある。
閉じた私の手をこじ開けようと、
悪魔がもがいている。
指の隙間から逃がさないように、
注意深くガラス瓶の中に移した。
ゴムの栓でフタをする。
な、何てことだ・・・・・・
美しい。
これが悪魔なのか?
生まれて初めて目にするその姿は、
ぞっとするほど美しく、
しかも私の妻そっくりだった。
スリムな体をピタっとした黒皮のボディスーツに包み、
小さな頭からは二本の角、形の良いお尻からは短い尻尾が生えていたが、
こちらを睨みつけるその顔自体は、私の妻と瓜二つだ。
これはいったい・・・・・・
「あなた?」
「はうっ!」
恐る恐る振り返ると、
そこには悪魔、いや眉間に皺を寄せた妻の顔が。
まずいまずいまずいまずいまずい。
「こんな夜中に何やってるのよ?」
「いや、なんでもないよ」
「机の上の鏡はなんなのよ」
「いや、こ、これは」
「何を隠してるの?」
「・・・・・・」
「出しなさい」
私は渋々とガラス瓶を妻に見せた。
「やっぱり。それ、貸しなさい」
妻が右手を私の鼻先に突きつける。
赤く長い爪が妖艶に光っていた。
「分かったよ」
瓶を受け取った妻が、
ガラスの中の悪魔に話しかけた。
「ダメじゃないお姉ちゃん、こんな男に捕まってちゃ」
『エヘやっちゃった。でもあんただって五年前に捕まったじゃん』
「まあね。お陰で苦労してるわよ。こいつの調教。
記憶を消しといたから、五年前の事は覚えてないはずなのに、
また同じ事を繰り返すとはね、バカ亭主なんだから」
『まったく悪魔に一目惚れするなんてねぇ。
願い事が、僕と結婚してください!だったんでしょ?
マジでありえないわよねぇ。ホッホッホツホッホー』
「うるさいよお姉ちゃん。ぱっと見ると冴えない男だけど、
とにかく優しいし、意外に男らしい所もあるんだよ。
さ。逃がしてあげるから早く帰った方がいいわよ」
そう言いながら妻はガラス瓶のフタを開けた。
『分かったわよ。そこの旦那サマ、妹を頼んだわよ。
あ。そうだ。ところであんた、
一体私になんてお願いするつもりだったのさ?』
「いえ、もういいんです。
私は――、私は妻と仲良く暮らしますから。
悪魔さんはどうぞ、鏡の中へお帰りください」
あ〜〜〜〜れ〜〜〜〜!
悪魔の姉妹は鏡に吸い込まれていった。
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