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「皇居ランナー」


 落陽が放つ橙色の光線を浴び、きらきらと光る汗。
 帰社の途に就く我々の真横をランニングシャツにショートパンツ姿の人々が途切れることなく走り過ぎてゆく。
 
 およそ東京のビル街には不似合いな人種との接近遭遇に、私は目がくらみそうになる。
 だがそれも、国中が健康ブームに湧き立つこの頃では、見慣れた光景となりつつあった。

「今日はまたいつもにまして皇居ランナーが多いですね」

「夕方だと言っても、まだまだ暑いのになぁ」

 私はそう言いながら額に噴き出してくる汗をハンカチで拭う。

「この人達って、ひたすら皇居の周りをぐるぐる回ってるんですよね。飽きないのかな」

「まぁ他に走りやすい場所がないからしょうがないんだろ」

 翌朝。皇居の側を通りかかると歩道が妙にべとついている。

 なぜだろう?

 私はしゃがみ込んで匂いを嗅いでみた。

 バターのいい香りがした。














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posted by layback at 11:46
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「シロ」


 野良犬のグループが徘徊していると保健所に通報があった頃にはすでに町中に新型の狂犬病が蔓延していた。

 うちのシロにも。

 現在有効なワクチンは存在しません。確認されている限り、致死率は100%です。
 やたらと水を欲しがる上、妙にぐったりとしているので獣医に連れていったところ、そう言われた。
 発症後は約5日〜7日間もがき苦しみながら死に至ります。どうか楽にさせてあげてください。

 俺は考えさせてくれと言ってシロを連れて帰った。
 獣医には必ずここに入れておくようにということで檻を貸してもらった。
 囚われの身となったシロの目はいつも以上に潤みがちで、舌はだらりとだらしなく地に落ちていた。
 食欲はまったくないようだった。とりあえず水をやり、様子をみることにした。

 明くる日、シロは豹変していた。
 俺が近寄ろうとすると、猛然と吠えかかり牙を剥くので、水を取り替えてやることも出来なかった。
 俺は一時間ほどじっと檻の前に座り込んでいた。その間もシロはずっと猛り狂い、吠え続けた。
 何度も檻に体当たりをした。それでいて疲れる様子もなかった。
 あれほど美しかった白い毛並みはしだいに薄汚れ、鉛色にくすんでいった。

 俺は檻を車に載せた。

 街並はシロを散歩させている時となんら変わらぬ表情で窓の外を通りすぎてゆく。
 ただそこに、ひとけだけが無かった。

 保健所の駐車場に着いた。
 後部座席から下ろそうとしたところで俺は檻を取り落としてしまった。
 そのはずみでロックをかけていたはずの扉が開いた。
 シロが身をくねらせて檻から飛び出してくる。
 固まる俺の目の前で、シロは涎を撒き散らし、唸り声を上げる。もはや目の焦点すら合っていない。

 それはもうシロではなかった。

 シロが襲い掛ってきた。
 俺はとっさに腕を交差して顔を守る。
 身体の側面を風が駆け抜ける。
 背後でもみ合う音と犬の悲鳴が聞こえる。

 振り返るとシロが野良犬を地面に組み伏せ喉笛を喰い破っていた。
 野良犬の首からはごぼごぼと鮮血が噴き出している。
 二、三度痙攣したかと思うと野良犬はただの肉塊となり果てた。

 シロは血まみれの顔を上げる。
 澄んだ目で俺を見つめる。
 
 子犬のように心細そうに何かを訴えかける目だった。
 俺は家に来たばかりの頃のシロを思い出した。
 無意識に手を差し出してシロに一歩近づいた。

 シロはぐるりと身を翻しアスファルトを蹴った。
 風のように駐車場を駆け抜け、低い姿勢で生垣を潜り抜けて行く。

 シロは消えた。
 俺は野良犬の骸の前でただ立ち尽くしていた。

 翌月にはワクチンが普及し、新型狂犬病は沈静化した。

 あれからもう一年が経つ。

 俺はまだシロの小屋を片付けられない。














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posted by layback at 11:55
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