行き付けのスナックを早めに切り上げ、
駅に向かって歩いていると、ある雑居ビルの窓が目に入った。
薄汚れたガラスから洩れる明かりは弱々しく、
建物の壁面をぼんやりと照らし出していた。
私はふらふらと吸い寄せられるようにビルに近付き、
気が付くと、店のドアの前に立っていた。
会員制 BAR 「LOST」
すすけた金色のプレートにそう書かれている。
踵を返し、階段を降りようとしたのだが、
なぜだか不思議と、後ろ髪を引かれるような感覚があった。
しかし会員制だ。
しばし逡巡する。
覗くだけでも覗いてみるか。
ぐっと息を吸い、思い切ってノックをしてみた。
「あのぉ……」
返事がないので、ほんの薄くドアを開け、中を覗き込んだ。
すると、黒いベストを着たバーテンがすっと歩み寄ってきた。
「失礼ですがお客様、当店は会員制となっておりまして。
どなたか、会員様からのご紹介でしょうか?」
「いえ、ちょっと外からこちらの窓を見て、気になったもので」
「基本的に、一見で新規のお客様はお断りしておりますが――」
男は私の風体をチラリと見て続けた。
「お客様が、私どもの条件に該当されるようでしたら、
特別に入店していただいても構いません」
「じょ、条件と言いますと?」
「当店では“何かを失われた方”のみ入店して頂いております」
男は小声になり私の耳元で説明を続けた。
「あちらのカウンター1番奥の男性は、
長年連れ添われた奥様を亡くされました。
真中のご夫婦は、可愛がっていた愛犬を亡くされたそうです。
手前の男性は、交通事故で片足を――」
……
私は突拍子も無い話を聞かされ、
思わず言葉を失った。
「条件を満たされたようですね。どうぞこちらへ」
男は呆然とする私の背中にそっと手を添え、
カウンターの空いている席へと案内した。
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