うちの小学校もついに夏休みに突入した。
ぼくはクラスメイトのひろゆきと計画を立て、彼のおじいちゃんの住む田舎へ、二人だけで遊びに行くことにした。
電車を数回、さらにバスを乗り継ぎ、ぼくらは○○県の外れまでやってきた。
バス停で降りても周りは田んぼだらけ。遠くを見渡しても山ぐらいしか見当たらない。
都会と違い、とにかく高い建物がないのだ。
飛びまわるトンボやカナブンなどを冷やかしながら細い農道を歩いて行くと、やがて古い民家が見えてきた。
「あれだよあれ」ひろゆきが言う。
小さな納屋の前でトラクターをいじっているお年寄りの姿が目に入った。
「じいちゃーん」
「おう、ひろちゃんか、よく来たな」
おじいさんはそう言うと、麦わら帽子のあごひもをゆるめた。
「こんにちは、お世話になります」
ぼくは帽子を脱いで挨拶をした。
「長旅で疲れたやろう、まぁあがりなさい」
おじいさんは作業を止め、民家の方へ歩いていった。
キンキンに冷えた麦茶を飲みながら、ぼくらはおじいさんと一緒にスイカを食べた。
小学校の話やひろゆきの家族の話などをしているうちに、ぼくはだんだんおしっこに行きたくなってきた。
「ねぇトイレある?」ぼくはとなりのひろゆきに小声で訊く。
「あるにきまってるだろ」ひろゆきは大きな声で言う。
「ただし、外だけどな」
「外?」
「汲み取り式の便所だからの。母屋から離れてるんじゃよ」
おじいさんが説明する。「中に落ちないように気をつけてな」
「気をつけろよ。落ちたら死ぬぞ」
「もうっ、落ちないよ!」
ぼくは場所を教わり、一人でトイレに向かった。
母屋を出たとたんにセミの鳴き声が夕立のように降り注いでくる。
十メートルほど離れたところに細長い木製の小屋があった。
これかぁ。
なんの変哲もない小屋だった。
ぼくは色あせたノブを握り、がたつく扉をそろりと開けた。
クモの巣の張った正面の窓から西日が差し込んでいる。
にもかかわらず、小屋の中は少し肌寒く感じられた。
たしかに不気味な雰囲気ではある。
まずあれほどうるさかったセミの鳴き声が聞こえない。
この場所だけが外界から遮断されているような気がしてきて一気に心細くなる。
ぼくはなるべく便器の中を見ないように、そしておしっこをこぼさないように、気をつけて用を足した。
「あー怖かったー」母屋に戻ったぼくの第一声がそれだった。
「まだ昼だからいいよ。夜は半端ないぜ」
「夜は足元も暗いしのぉ」おじいさんがそう言って笑う。
「このあたりの村も昔は貧乏やったからな、食わせられない子供や、出来の悪い子供は、みな汲み取り便所に捨ててしまう、そんな風習があったんじゃ。だから、お前たちも、勉強もせんとあんまり遊んでばかりやと――」
「やめてよおじいちゃん! ちゃんと宿題も持ってきたんだから!」
「そうかそうか、ならいいわい」
わっはっはとおじいさんは高らかに笑う。
焼けた肌に刻まれた細い目は笑いジワに埋もれ、無くなってしまったかのように見えた。
おじいさんの手作りの夕食を食べて、少しテレビを見たあと、ぼくらは寝床についた。
遊びすぎて疲れたからか、ひろゆきはあっという間に寝てしまった。
負けじと目をつむって寝よう寝ようと集中していると、おなかが急に痛くなってきた。
寝る前に食べたアイスクリームがまずかったのかもしれない。
がまんして寝ようと思ったのだが、だんだん痛みがひどくなってきた。
「ねぇ、ひろゆき、ひろゆき」
いくら背中を揺らしても、ひろゆきは起きなかった。
しょうがないのでひとりでトイレに行くことにした。ぼくはおなかを押さえてきしむ廊下をそろそろと進む。
おじいさんも寝てしまったのか、家の中の明かりはすべて消えてしまっていた。
とにかく早くすませてしまおうと思い、ぼくは急いで外に出た。
頼りない虫の鳴き声が下草の間から聞こえてくる。
月は雲に隠れてしまったようで足元はあまり見えなかった。
小屋にたどり着き、扉を開ける。手探りでスイッチを押すと裸電球がぱちりと点いた。
とたんにばさばさと大きな蛾が飛びまわる。ぼくはびくびくしながらズボンを膝まで下ろした。
なるべく便器の穴を見ないようにする。
下腹部に集中し、さぁ出すぞ。と思ったその時、下から声がした。
「ぅぅ」
出かけていたものも止まってしまった。
「ぅぅぅぅう」
ふたたび聞こえる。
ぼくはおそるおそる股の間をのぞき見た。
青白い顔がぼうっと闇に浮かび上がる。
「ひっ」ぼくは思わず息をのんだ。
男とも女ともつかぬのっぺりとした顔に長い髪の毛がべっとりと張り付いている。
目があるはずのところに目がない。髪の毛で隠れているわけでもない。
つぶれひしゃげた鼻の下には真っ赤な裂け目が口を開けていた。
そいつは、か細い両うでを上げ、ぼくが用を足すのを待ち構えているようだ。
いや、それとも、ぼくが落ちるのを――
「ぅぅぅぅぅ、ぅぅぅぅぅ」
えたいの知れない生き物は髪をふり乱し、ぼくを招くようにうでをゆらゆらと揺らしている。
もうとっくに便意など忘れてしまっていた。
ぼくはパジャマのズボンを引っ張り上げ、小屋を飛び出した。
くつが脱げるのもかまわず走った。
部屋に駆け込むと頭から布団にダイブした。
「おい、ひろゆき! ひろゆき!」
「ううん」
「おきろ、おきてよ!」
「なんなんだよ」
ひろゆきはだるそうに半身を起こし、目をこすりながら振り返った。
「どうした? なにか見たのか?」
ひろゆきは細い腕を顔から下ろした。
あるはずのところに目がなかった。
怪談競作リンク集
(※これは舞さんのところで行われている怪談競作企画用に書いてみました。)
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