会社の先輩に引越しの応援を頼まれた。知り合いの手伝いだそうだ。
当日、ぼくはレンタカーのトラックで隣町に住む先輩を拾い、目当てのマンションに向かった。
「悪いな成瀬」
「いいんですよ。どうせ暇してましたから」
「飲み屋の姉ちゃんなんだけどな。最近離婚したらしくて部屋を引き払うんだと」
「またそんな人妻に手を出してー」
「うるせーバカ野郎。それに、もう人妻じゃないだろ」
マンションのエントランス前で先輩がインターホン越しにやりとりをする。
ロックを解除してもらい、ぼくらはエレベーターで階上に昇る。
開いたドアの隙間から小さな顔がのぞいた。
「おはよう。どうぞ入って」
ジーンズ姿の小柄な女性はスリッパを二つそろえてぼくらの足元に置いた。
「ごめんね長谷川さん、お休みの日なのに」
「いいんだいいんだ。今日は若いのも連れてきたからさ。まぁ馬力はねーけど」
「よけいなお世話ですよ」
ぼくはしかめっ面で隣の先輩をにらみつける。
「ありがとうございます」 彼女は言いながら笑いをこらえていた。
「こいつは会社の後輩で成瀬」
「成瀬です」
「めぐみです。今日はよろしくおねがいします」
夜の仕事をしているという割りには、めぐみさんの化粧はあっさりとしたものだった。
「こちらこそよろしくおねがいします」
ぼくは頭を下げながら「めぐみ」は源氏名なのかな等とくだらないことを考えていた。
新築マンションのようにフローリングがつやつやと光っている。
引越し前の部屋にしては妙にがらんとしている。
唯一キッチンのすみっこで大型冷蔵庫が存在感を主張していたが、他に大物は見当たらなかった。
訊くと家具家電類は業者に頼んですべて引き取ってもらったのだそうだ。
きっと過去の思い出を引きずりたくなかったのだろう。
まだ使えるものを売ってしまうのはもったいないような気もしたが、その気持は分からないでもなかった。
小さな荷物はみなきれいにパッキングされ、すでに運び出すだけになっていた。
ぼくは目を離すとすぐにサボろうとする先輩の尻を叩きながら運搬マシーンとなりせっせと身体を動かした。
ダンボール類をすべて運び終えたあと、先輩がキッチンで素っ頓狂な声を上げた。
「あれ? この冷蔵庫、電源入ったままだぞ」
「いいの、それは置いていくから」 めぐみさんは慌てたように言う。
「ふうん」 長谷川先輩は怪訝な顔をする。ぼくも不思議に思った。
さっき「冷蔵庫の中のもの」と書かれたダンボールを運んだばかりなのに。
だが先輩はそれ以上なにも訊こうとはしなかった。
その後、傘や額縁など細々としたものを運び出すと、部屋の中はすっきりきれいに片付いた。
「忘れ物ないか」
「大丈夫。あってもしばらくの間は契約残してるから、また取りに来れるし」
「そっか。じゃあ行こう、新天地へ」
先輩に手を取られ、さよならも言わずにめぐみさんは部屋をあとにする。
ドアを支えてふたりが出るのを待っていたぼくは、閉じる時、無意識に耳を澄ませた。
部屋の奥で冷蔵庫が、ぶーんとうなり声をあげたような気がした。
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