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小説家の妻


「書き上げた小説を最初に読ませるのは妻ですね。」
「編集者ではなく?」
「そう。先ず妻に読ませるのです。」
「成る程。奥様もさぞかし小説にお詳しいのでしょうね。」
「いやいや。逆ですよ。彼女は小説に関してはまったくの素人で何を読んでも面白いと言う。だから良いのですよ。」







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posted by layback at 23:34
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入社式


 右を見ても左を見ても宇宙服姿の者ばかりだった。
 このだだっ広い会場の中で、スーツを着ているのは、ただおれ一人だった。
 全身白ずくめの宇宙飛行士たちがおれのことをじろじろと見る。スモークのかかったバイザー越しだから顔色こそ窺えないものの、きっと中では嘲笑を浮かべているに違いない。いかにもそんな雰囲気だった。

 入社式の案内には服装の注意など書かれていなかったはずだ。当たり前だ。小中学生ではないのだ。言われるまでもなく、新社会人としてあるべき姿で出席する。誰だってそう考えるだろう。だからおれはスーツを着てきた。安物のスーツではあったが、一応は新調したものだ。金なんて無かった。だが就活でさんざん酷使して、くたびれ果てたリクルートスーツでは、さすがに恥ずかしい。そう思ったのだ。それがいざふたを開けてみるとどうだ。スーツを着ているのはおれだけではないか。

 相も変わらず宇宙飛行士たちは、おれのほうを見やっては、こそこそと何ごとか囁いている。だんだんと居たたまれなくなってきた。まだ式が始まるまでにはいくらか時間があった。おれはたまらず席を立った。ホールからロビーに出て新鮮な空気を吸うと、少しは気持ちが落ち着いた。その辺りで談笑している者もちらほらいたが、そいつらもみな宇宙服姿である。男なのか女なのか、それすら判らなかった。いったいなんなんだ。おれは夢でも見ているのか? 頭が痛くなってきた。

 外で煙草を吸おうと思い玄関に向かうと、壁際のちょっとしたスペースに金魚鉢が置かれているのが目に入った。透き通った球体の中で二匹の立派な金魚が優雅に泳いでいる。彼らの瀟洒な尾びれが起こす風で水草が柳のようにゆらゆらと揺れていた。おれは閃いた。周りを確認する。入り口近くの警備員はこちらに背を向けていた。受付の女性もちょうど下を向いている。何やら名簿でも確認しているようだ。おれは一瞬も迷わなかった。金魚鉢をさっと両手で持ち上げると、小脇に抱え、トライを奪いに行くラグビー選手さながらに走った。水が少々こぼれようがお構いなしだった。幸いさっきまでロビーにいた宇宙飛行士たちは、みなホールに入ったようである。おかげでおれは誰にも気付かれることなくトイレにたどり着くことができた。

 個室に入って扉に鍵をかけると、すぐに金魚鉢の中身を洋式便器に空けた。すまん、そう心の中でつぶやいて一気に水を流した。ごおおおっと排水管が唸り、すべてが吸い込まれていった。そこでやっと一息ついた。息をするのも忘れていたような塩梅だったので、思い切り深呼吸をした。アンモニアと芳香剤の混ざったような匂いが無遠慮に鼻腔を駆け登っていった。その匂いがあまりにも現実的だったので、ああこれは夢ではないのだと、おれはあらためて思い知らされた。

 呼吸が落ち着いたところで個室を出た。空っぽになった金魚鉢を洗面台に置いて自分の顔を見た。すっかり青ざめていた。額に浮いた汗で前髪がべったりと張り付いている。頬はこけ、目の下には深い隈ができていた。朝、家を出る前に見たフレッシュな顔とはまるで別人のようだった。おれは額にまとわりつく前髪を払い、ハンカチで汗を拭った。

 固定された角度の蛇口と放っておくとすぐに止まってしまう水流に苦労させられながらおれは金魚鉢の中を洗う。内側に残った水滴をハンカチで拭い取る。水を吸ってぐずぐずになったハンカチはくず入れに捨ててしまった。おれは垂れ落ちてきた前髪をもう一度かき上げて、そろそろと金魚鉢をかぶった。若干きつかったが、無理やり頭を押し込むと、なんとか入った。ちょうどフルフェイスのバイク用ヘルメットをかぶるのと同じ要領だった。

 鏡で自分の姿を確認する。
 少し後ろに下がり、まずは正面から、次に左右それぞれ横向きに、後ろを向いて背中を見、そして鏡に顔を近づけた。

 宇宙飛行士に見えなくはない。少なくとも首から上だけは。
 これ以上はどうしようもなかった。それにもう式が始まってしまう。
 おれは急いでホールに戻った。

 宇宙服姿の誰かが壇上で挨拶をしている。その横にずらりと並んで座っている役員と思しき連中も、みな宇宙服姿だった。
 誰が誰だかまるで判りやしない。おれは手刀を切りつつ、金魚鉢をかぶった頭を何度も下げながら、ようやく自分の席へ舞い戻った。

 もうおれのことを気にするものは誰もいなかった。
 新米の宇宙飛行士たちは、みなまっすぐに前を見据えていた。
 おれだってそうだ。
 おれはもう完全にこの会場に溶け込んでいた。もう完全にこの会社の一部になっていた。













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posted by layback at 00:31
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