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もぐもぐ


 ずっと給食を食べていた。給食の時間内には食べ終わらなくて、昼休みになって、男の子たちが外に遊びに行ったり、女の子たちが輪になっておしゃべりをしたりしているのに、わたしはまだ黙々と給食を食べている。チャイムが鳴って、女の子たちがそろそろと席に着きはじめる。遊びに出ていた男の子たちもぱらぱらと帰ってくる。先生が入ってきて午後の授業がはじまる。国語の教科書を読ませるのに、先生は席の順に生徒を当てていくのに、わたしのことだけはさりげなく飛ばしてしまう。わたしもオツベルと象を読みたかったのに。でもわたしは、いまもまだもぐもぐとしているから、じっさいには読めない。だからしかたがないのだった。国語の授業が終わって、六限の理科も終わって、すぐに終わりの会がはじまる。近ごろ男の子たちが悪ふざけしてスカートめくりをするから困ると、女の子の一人が手を上げて先生に報告する。女の子たちは口々に、そうだそうだ! と声を上げる。わたしも、そうだ! と一緒になって声を張り上げたかったけど(わたしはスカートめくりをされたことは一回もない)、いまもまだもぐもぐとしているから、じっさいには口を開けない。男の子たちは、告げ口すんなよなーなどと、小さな声で文句を言っている。先生から男の子たちに厳重な注意があって、終わりの会が終わる。みんなわぁわぁと言いながら帰ってゆく。掃除当番の班の子だけが教室に残って、イスをのせた机をガガガと後ろに動かしてゆく。わたしの机以外全部。わたしの机は大海原に浮かんだ小さな島のようになって、わたしはその島でロビンソン・クルーソーのように一人ぼっちで給食を食べ続ける。掃除当番の子たちはカヌーのパドルのようにほうきを使って、わたしの島の周りをぐるぐると回る。わたしは島からそれを見て、なんだか自由でいいなと思う。たかが掃除当番なのに! 掃き集めたほこりやごみを捨てて、机を元の位置に戻すと、掃除当番の子たちも帰ってしまう。急にしんと静かになる。わたしがもぐもぐとする音だけが教室に響いている。やがて窓から西日が差してくる。まぶしい。でもわたしはカーテンを閉めには行けない。給食をまだ食べ終わっていないからだ。すぐに日が暮れて教室は真っ暗になってしまう。今日は月が出ているからそう怖くはない。窓の桟にフクロウがとまって首をかしげている。この子はなぜこんな時間に給食を食べているのだろう? そう言いたげな顔つきだった。わたしは彼に理由を説明したかったけど、いまもまだもぐもぐとしているから、なにも説明できない。フクロウはさよならもおやすみも言わずに飛び立ってしまう。わたしは一人教室に取り残される。わたしはつめたい月の光を浴びながら給食を食べ続ける。ついに朝がやって来て、やっと教室が明るくなる。窓の外からにぎやかな声が聞こえてくる。クラスメイトがぞくぞくと登校してくる。みんなの顔がそろったところで先生も教室に入ってくる。起立! 日直の子が元気な声を出す。礼! おはようございます! わたしも一緒になって立ち上がって、先生やみんなに、おはようございます! と元気にあいさつをしたかったけど、いまもまだもぐもぐとしているので、やっぱりできない。あっというまに午前の授業は終わって、給食の時間が来て、昼休みが終わって、午後の授業が終わって、終わりの会も終わって、掃除も終わって、みんな帰っちゃって、西日が差してきて、日が暮れて、夜になって、フクロウも飛び去って、また朝が来て、いつのまにかわたしは大人になっていて、未だに給食を食べている。先生、残してもいいですか?  そう言いたかったけど、いまもまだもぐもぐとしているので、やっぱりそれはできない。














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黒い虫


 夜中に目が覚めた。明かりを点けると床の上で何かが蠢いている。黒い虫だった。ざわざわとざわめく幾本もの足におぞけが走り、思わず悲鳴を上げていた。すぐに兄が飛んできた。がたがたと震えながらわたしが床を指差すと、あろうことか兄は素手で虫をつまみ上げる。兄はつまんだ虫に目を寄せてじいと見つめる。ひょいと顔を上げたかと思うと、今度は無言でわたしの顔を凝視する。何秒、いや何分が過ぎただろう。何を思ったか、兄は虫をわたしの顔に近づけはじめた。わたしはそれを避けようとするが、なぜか身体が動かない。虫のほうでも兄の指先から逃れようとするが、兄は兄でそうはさせじと筋張った指で万力のように虫を締め上げる。つやつやと黒光りする虫の腹は兄の指の圧を受けて、まるでひょうたんのように歪み、その上下の房は今にもはち切れんばかりに膨れ上がっていた。わたしは、ぷちん。と音を立てて虫の腹が弾けるところを想像してしまう。この至近距離だ。汚らしい虫の体液はきっとわたしの目の中に入るだろう。千切れた足も何本かは目の中に入ってしまうだろう。嫌だ。それだけは耐えられない。それでもわたしは動けなかった。目を閉じることすらできなかった。虫は兵隊の行進のように規則正しい足並みで空を掻き、どんどんどんどんとわたしの目に迫ってくる。今ではもう虫の胴が大蛇の腹のように感じられた。兄は大きく見開いたままの私の目の中についに虫を放した。虫は自由の身になった途端にはげしく足を掻いてわたしの眼球の裏側に潜り込んだ。わたしは眼底で虫が蠢いているのをたしかに感じる。虫は8の字を描いてわたしの眼球の裏側を駆けずり回っている。かさかさかさかさと云う乾いた足音が脳髄に直接響いてくる。今すぐにスプーンで眼球ごとほじくり出してしまいたかった。身体中に鳥肌が立っていた。気が狂いそうだった。だがわたしは動けなかった。おいおいどうしたんだ。落ち着けよ。兄は云う。兄の穏やかな口調に安心したのか、虫はふたたび表へ這い出てくる。虫はさっきとは打って変わって悠々とした足つきでわたしの目蓋の上に乗る。そしてその身を横たえる。だってそれはお前さんのまつ毛だろう? 兄の言葉でわたしは金縛りが解けたようになってベッドに倒れ込む。まったくおかしな女だよ。お前さんは。兄は明かりを消して部屋から出て行った。











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posted by layback at 22:46
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