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「六月の鯨」5
(まずは、「六月の鯨」1 からどうぞ)
佑太とミノルが階段を駆け上がると、すぐに電車が滑り込んできた。
二人は息を切らせながら目の前の車両に乗り込んだ。
乗客は少ない。横並びのシートに座っている人もまばらだった。
二人分の空席を見つけた佑太とミノルは、背伸びをして吊り棚にリュックを載せた。
電車がゆるゆると動き出す。
佑太は座ったまま後ろを振り返った。窓から駅前のロータリーが見えるかと思ったのだが、駅舎やビルの陰になり、まったく見えなかった。
佑太はあきらめて前を向いた。
「ねぇ、アキラ大丈夫かな」
ミノルが不安げな表情で佑太に話しかけてきた。
「心配すんな、あいつなら絶対来るよ」
「いや、それもだけど、あいつの傷……」
ミノルは言いかけて、自分の口元を指差した。
「ああ……」
佑太も言葉に詰まった。
これまでにもアキラは、時々、学校へ顔を腫らしてくる事があった。手足に痣や、すり傷も絶えなかった。
生傷が絶えないのは男子にとって勲章のようなものだが、アキラのそれは、頻度といい、傷の大きさといい、明らかに度を越したものだった。だが、佑太たちがいくら訊いてみても、アキラは、自転車で転んだだとか、木登りしてて落ちただとか、笑いながらいい加減な理由を口にするばかりだった。
佑太は思う。アキラが酒びたりの父親から暴力を受けているのは、ほぼ間違いない。怪我の理由を明るく笑ってごまかしていても、アキラの瞳の奥に宿る暗い光がそう物語っていた。
アキラは常日頃から、中学を卒業したら家を出て働きたい、と口にしていた。
勿体無い……。運動だけでなく、勉強も出来るヤツなのに――
佑太はどうすることも出来ない自分がとにかく歯痒かった。
「ミノル、アキラに訊くなよ」
「え?」
「傷の事。その話題、あいつ嫌がるからさ」
「うん、さっきもそうだったもんね」
ミノルは視線を落とし、両足をぶらぶらとさせる。
ひとつ、ふたつと駅を過ぎるうちに、向かいの車窓から、海が見えはじめた。
木々が途切れる度に現れる群青の海原。波間にきらきらと揺れる細かな光の群れが佑太の目を突き刺す。
海を見ていると、沈みかけた気分がほんの少しだけ持ち上がるような気がした。
佑太もミノルも、穏やかな電車の揺れに身をまかせながら、無言で、じっと海を見ていた。
☆ ☆ ☆
駅に着いた。
佑太のスニーカーのゴム底が、コンクリートの上の砂粒を掴む。
じゃりっと音がする。
ホームに両足で降り立つと、潮の香りがした。
頬を打つ風は強く、生温かかった。
佑太とミノルは改札を通り抜けた。
塩見浜までは歩いて十分弱のはずだった。
駅前の小さなロータリーから繋がる県道をすぐに右手に曲がり、民家が立ち並ぶ細い道を進んでゆく。塗装の剥げかけた赤いポストや、閉まっている写真屋、開いてはいるものの中に誰も居ない食料品店。
どれだけ歩いてもひと気がほとんどない。海水浴に来るたびにいつも目にしていたカキ氷や浮き輪を売っている出店もなかった。
古い民家の軒先で寝ていた大きな雑種犬は、佑太たちが警戒しながら側を通り過ぎても、薄く片目を開けただけだった。吠えるのも面倒くさいといった風情だった。
ひと気のない海辺の町は、佑太の記憶にある夏の雰囲気とはまるで違っていた。
ひとことで言うと、そう。寂れていた。
やがて道路の舗装が途切れ、砂利道に変わった。
顔を上げると、堤防が目に入った。
「海だ!」
佑太の隣で、ミノルが叫んだ。
堤防の向こう。隣り合う海の家の錆びたトタン屋根の隙間から、確かに海が見えている。
「海だー!」
ミノルは両手をあげて走り出した。ぱんぱんのリュックが激しく上下に揺れていた。
「ちょっとミノル、おい!」
佑太も負けじと走ってミノルを追いかけた。
六月の鯨6へ つづく
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「六月の鯨」4
佑太たちは自転車を漕ぐ。
アキラを先頭に、佑太、ミノルと、適度に間隔を空け、縦一列に編隊を組む。
緩やかな坂を上り切ると、その先は直線道路が続く。スーパー、ホームセンター、ファミレスと、道路沿いには大きい店が並んでいる。賑やかな箇所を通り過ぎ、さらにしばらく走ると、やがて駅の建物が見えてきた。
先頭のアキラは、ゆっくりとスピードを緩めてゆく。駅前のロータリーに隣接する駐輪場の前で、アキラは完全にペダルを止めた。
佑太とミノルもすぐに追いつき、アキラの横に並ぶ。
「ここで、お別れだな」
アキラはなぜだかとても嬉しそうに言う。
「お前、ほんとに自転車で行くつもりか?」
佑太は、返ってくる答えが分かっているのに、つい言ってしまう。
「なんだ佑太、そんなにジュース代が惜しいか?」
アキラは、わざとらしく片眉を吊り上げた。
「そ、そんなことねーよ」
佑太はアキラの挑発に乗ってやる。
「ねぇ、二人とも、それより、あれ見てよ」
ミノルが二人の会話に入ってきた。
アキラがミノルの指の差すほうを振り返った。
「げ、あれ1組の担任じゃん」
「えーと、斉藤先生だっけ」
佑太は目を細めて言った。
白いマスク姿の教師は腕を組み、駅の改札へ降りる階段の前で、仁王立ちしていた。
「なんであんなところに突っ立ってるんだよ」
アキラは、訳が分からんといった調子で言う。
「俺分かった」
ミノルが甲高い声を出す。
「なんなんだよ」
二人の声が重なった。
「見張ってるんだよ。ほら、生徒が遊びに行かないように」
ミノルは人差し指を立てて説明する。
「そうか、インフルエンザか」
「だって、俺たち自宅謹慎中の身だもん」
ミノルはそう言いながら、ひとりうんうんと頷いた。
「バーカ。自宅待機だろ」
佑太はすかさず突っ込んでやる。
「どうしよう?」
「捕まったら電車に乗れないぜ」
「みんな自転車で行くことにする?」
「でもミノルお前、身体……」
佑太はミノルに向かって言った。
「塩見浜でしょ? 行けると思うよ」
ミノルは、まるで平気そうな顔をしている。
だが、佑太は思い出していた。
ミノルは先日の体育の授業中にも胸を押さえて倒れたばかりだった。生まれつき心臓が弱く、医者から激しい運動を止められているのだ。
もっとも倒れた時は、ただラジオ体操をしていただけなのだが……。幸い大した事はなかったものの、その時は、さすがに担任の教師も焦っていた。
佑太は額に手をかざし、空を見上げた。太陽は公園にいた時よりも、はるかに高度を上げている。
この強い日差しの中、何十分もミノルに自転車を漕がせることは、どう考えても無謀に思えた。
「俺にいい考えがある」
アキラが突然顔を上げた。
「いいか。俺がおとりになって、やつの前を自転車で通るから、その隙にお前らは、あのエレベーターで下に降りろ」
佑太はアキラの指差す方に目をやる。
駅の階段の左手、少し離れたところに、一基のエレベーターがあった。おそらく車イスの人や、お年寄り用に設置されているのだろう。
たしかにあの位置なら、教師の視線さえ逸らすことが出来れば、なんとかなるかもしれない。
「でも、お前が捕まったらどうするんだよ」
「おいおい、俺があんなメガネに捕まるかよ」
アキラは気分を害した様子で眉をしかめる。
「分かったよ。とりあえず、自転車を停めよう」
佑太とミノルは、駐輪場に自転車を停めに行った。
その後、互いの動きを確認した三人は、早速作戦に移った。
植え込みに身体を隠しながら、佑太とミノルは駅に近付いてゆく。
おとり役であるアキラは、ロータリーをのろのろと自転車で進んでゆく。
植え込みがちょうど切れる手前で、佑太とミノルは待機する。
教師は、まだアキラの自転車に気付いていないようだ。
アキラは、ちらりと佑太たちの位置を確認し、ペダルをぐっと踏み込んだ。
不意を突かれた教師は、一瞬戸惑ったように見えたが、すぐに声を張り上げた。
「あ、こらっ!」
今だ! 佑太とミノルはエレベーターに駆け寄る。
佑太は「降下」のボタンを連打する。
運良く、すっとエレベーターが上がってきた。
後ろを振り返ると、教師が逃げようとするアキラを走って追いかけていた。
エレベーターのドアが開く。
急いで佑太とミノルは乗り込んだ。
今度は「閉じる」ボタンを連打する。
ドアが閉まると同時に、埋め込まれたガラスから、アキラが教師に捕まる光景が見えた。
「うっわー! 捕まってんじゃん!」
ガラスの先は闇。
エレベーターは一気に下降する。
そして、ドアが開いた。
佑太とミノルは、改札の前で顔を見合わせた。
「どうしよう?」
顔を見合わせていても、何も案は出ない。時間ばかりが過ぎてゆく。
やがて電車の到着を知らせるブザーが鳴り始めた。
「仮に様子を見に行って、俺たちまで捕まったら最悪だ。アキラの行動が無駄になる」
「でもアキラが……」
「アキラはきっと、家に帰れって怒られるだけだと思う」
「……うん」
「帰るフリをして進路を変えて、塩見浜まで来るよ。あいつなら」
「そうだね」
「行こう」
佑太とミノルは、塩見浜までの切符を買い、改札を走り抜けた。
「六月の鯨」5へ つづく
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