(まずは、「六月の鯨」1 からどうぞ)
佑太とミノルが階段を駆け上がると、すぐに電車が滑り込んできた。
二人は息を切らせながら目の前の車両に乗り込んだ。
乗客は少ない。横並びのシートに座っている人もまばらだった。
二人分の空席を見つけた佑太とミノルは、背伸びをして吊り棚にリュックを載せた。
電車がゆるゆると動き出す。
佑太は座ったまま後ろを振り返った。窓から駅前のロータリーが見えるかと思ったのだが、駅舎やビルの陰になり、まったく見えなかった。
佑太はあきらめて前を向いた。
「ねぇ、アキラ大丈夫かな」
ミノルが不安げな表情で佑太に話しかけてきた。
「心配すんな、あいつなら絶対来るよ」
「いや、それもだけど、あいつの傷……」
ミノルは言いかけて、自分の口元を指差した。
「ああ……」
佑太も言葉に詰まった。
これまでにもアキラは、時々、学校へ顔を腫らしてくる事があった。手足に痣や、すり傷も絶えなかった。
生傷が絶えないのは男子にとって勲章のようなものだが、アキラのそれは、頻度といい、傷の大きさといい、明らかに度を越したものだった。だが、佑太たちがいくら訊いてみても、アキラは、自転車で転んだだとか、木登りしてて落ちただとか、笑いながらいい加減な理由を口にするばかりだった。
佑太は思う。アキラが酒びたりの父親から暴力を受けているのは、ほぼ間違いない。怪我の理由を明るく笑ってごまかしていても、アキラの瞳の奥に宿る暗い光がそう物語っていた。
アキラは常日頃から、中学を卒業したら家を出て働きたい、と口にしていた。
勿体無い……。運動だけでなく、勉強も出来るヤツなのに――
佑太はどうすることも出来ない自分がとにかく歯痒かった。
「ミノル、アキラに訊くなよ」
「え?」
「傷の事。その話題、あいつ嫌がるからさ」
「うん、さっきもそうだったもんね」
ミノルは視線を落とし、両足をぶらぶらとさせる。
ひとつ、ふたつと駅を過ぎるうちに、向かいの車窓から、海が見えはじめた。
木々が途切れる度に現れる群青の海原。波間にきらきらと揺れる細かな光の群れが佑太の目を突き刺す。
海を見ていると、沈みかけた気分がほんの少しだけ持ち上がるような気がした。
佑太もミノルも、穏やかな電車の揺れに身をまかせながら、無言で、じっと海を見ていた。
☆ ☆ ☆
駅に着いた。
佑太のスニーカーのゴム底が、コンクリートの上の砂粒を掴む。
じゃりっと音がする。
ホームに両足で降り立つと、潮の香りがした。
頬を打つ風は強く、生温かかった。
佑太とミノルは改札を通り抜けた。
塩見浜までは歩いて十分弱のはずだった。
駅前の小さなロータリーから繋がる県道をすぐに右手に曲がり、民家が立ち並ぶ細い道を進んでゆく。塗装の剥げかけた赤いポストや、閉まっている写真屋、開いてはいるものの中に誰も居ない食料品店。
どれだけ歩いてもひと気がほとんどない。海水浴に来るたびにいつも目にしていたカキ氷や浮き輪を売っている出店もなかった。
古い民家の軒先で寝ていた大きな雑種犬は、佑太たちが警戒しながら側を通り過ぎても、薄く片目を開けただけだった。吠えるのも面倒くさいといった風情だった。
ひと気のない海辺の町は、佑太の記憶にある夏の雰囲気とはまるで違っていた。
ひとことで言うと、そう。寂れていた。
やがて道路の舗装が途切れ、砂利道に変わった。
顔を上げると、堤防が目に入った。
「海だ!」
佑太の隣で、ミノルが叫んだ。
堤防の向こう。隣り合う海の家の錆びたトタン屋根の隙間から、確かに海が見えている。
「海だー!」
ミノルは両手をあげて走り出した。ぱんぱんのリュックが激しく上下に揺れていた。
「ちょっとミノル、おい!」
佑太も負けじと走ってミノルを追いかけた。
六月の鯨6へ つづく
ショートショート:目次へ