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「六月の鯨」3
佑太とミノルは、アキラの住むアパートの横にある駐輪場の空きスペースに、自転車を停めた。
と、突然。
建物のどこかから、男の人の怒声と、ガラスの割れるような音が聞こえてきた。
「……なんだよ、今の音」
佑太は、独り言のように口にした。ミノルは佑太の隣で身体を強張らせている。二人の前にある木造二階建てのアパートは相当に古く、防音性など、ほぼ無きに等しい造りに見えた。
辺りに再び静寂が戻る。佑太とミノルは顔を見合わせた。
アキラが両親と住む部屋は、一階の一番奥だった。
「呼びに行こうぜ」
佑太はミノルに声をかけた。
「うん」
ミノルは震える声で返事をする。
佑太は砂利を踏みしめながらアパートの廊下に向かう。ミノルは先を歩く佑太のあとを追って付いて来た。
いきなり、錆びついた鉄階段の影から黒猫が飛び出してきた。
「わぁっ!」
ミノルが佑太の後ろでおおげさに声をあげた。佑太が振り返ると、ミノルはコンクリートの上で尻餅をついていた。
「おいおい、たかが猫じゃんかよ」
佑太は笑いながら手を差し出して、ミノルを立たせてやる。
二人はアキラの家の前で並び、足を止めた。ドアの横に表札が掛かっている。朽ちかけた木の表面に滲んだ墨で橋本と書かれていた。
「いいか、押すぞ」
佑太は自分に確認を取るように声を出した。
ところが、佑太の指がブザーに触れるか触れないかというタイミングで、急に内側からドアが開いた。
「出てけっ! このクソガキが!」
さっき聞こえたのと同じ声が響いた。同時に、部屋の中からアキラが転がるように飛び出してきた。
スニーカーがちゃんと履けてなかったのか、アキラは前のめりに倒れそうになる。佑太は咄嗟に両手を伸ばし、アキラの身体を支えた。
「くっ」 アキラが言葉にならない声を吐き出した。
「お、おい、大丈夫かよ」 佑太は目の前の状況に戸惑いながらも、アキラに声をかける。
「失せろっ!」
部屋の中から怒りの声と共に空き缶が飛んできた。ドアの前の鉄柱に当たった空き缶は、乾いた音を立ててミノルの足元に転がった。くの字にひしゃげたビールの缶だった。
「行こう」 佑太の肩を借りて態勢を立て直したアキラは、駐輪場のほうへ歩き出した。
開けっ放しのドアの前に取り残された佑太とミノルは、急いでアキラのあとを追う。
「アキラ、おい、アキラってば、待てよ」
佑太の問い掛けにもアキラの背中は反応しない。
アキラは駐輪場から自分のマウンテンバイクを取り出し、佑太とミノルに向かって首をしゃくった。
「公園」 アキラはぶっきらぼうに言い放った。
佑太とミノルは、自分たちの自転車にまたがり、アキラのあとを追った。
ほんの数分で公園に着いた。アキラ、佑太、ミノルの順で、入口に自転車を停める。
アキラは公園の中へは入ろうとせず、黄色の車止めに尻をあずけた。
佑太とミノルはアキラからの説明を待っていた。だが、アキラはうつむいたまま何も話そうとしない。
三人はいびつな三角形の位置関係で、しばらくのあいだ立ち尽くしていた。
やがて痺れを切らせた佑太は、アキラに声をかけた。
「アキラ、お前また、父ちゃんに――」
「言うな」
アキラは吐き捨てるように言った。顔を上げたアキラの口元は、赤く腫れ上がっていた。
「でも、お前、その顔――」
「もういい」
アキラは手のひらを佑太の前に突きつけるようにして遮った。
「佑太、ミノル。お前ら二人で行けよ」
佑太はアキラの言葉に一瞬固まったが、すぐに言い返した。
「何言ってんだよ。三人で行くから意味があるんだろ!」
「そ、そうだよ」
ミノルも佑太に加勢した。
アキラはぎこちなく肩をすくめ、ふぅっと息を吐いた。
「金がないんだ」 自嘲するように短パンのポケットを叩いてみせる。
「お金ならある。俺、少し多めに持ってきたからさ。電車賃くらい余裕だぞ。それに、ミノルがいっぱいお菓子持ってきてるから食べ物の心配もないし、お金なんて要らないよ」
佑太はアキラを安心させようと、つとめて明るい声で言った。
「いいから、お前ら二人で行けよ」
アキラは佑太たちに向かって同じ言葉を繰り返した。
「だから、三人で行かないなら、俺たちだってやめるよ」
佑太も負けじと言い返す。
「バーカ。俺はな――」
アキラはそこで、にやりと笑った。いや、笑おうとした。だが、口元の傷にさわったのか、きゅっと顔をしかめた。
アキラは、いてて。と言い、頬を押さえながら言葉を続けた。
「――俺はな、自転車で行く。お前ら二人は、電車で行くんだ」
「な、何言ってんだよ――」
佑太は慌ててしどろもどろになった。
「さ。早く出発しなきゃ日が暮れるぞ」
アキラは真っ黒に日焼けした顔に不敵な笑いを浮かべていた。もう話は決まったんだよ。と言わんばかりに。
「俺と、お前ら」
アキラは自分と佑太たちを交互に指差す。
「どっちが早いか、ジュースを賭けて、競争だ」
アキラはそう言うと、ポケットから取り出した100円玉を親指で弾いた。
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「六月の鯨」2
「どうする? 自転車で行くか?」
佑太はアキラに向かって言った。この辺りから塩見浜までは、それほどの距離ではない。佑太たちの足でも、4、50分も自転車を漕げば行けるはずだった。父親にクルマで連れられて、何度も海水浴には行っているので、道もなんとなく覚えていた。
「電車の方がいいだろ。日が暮れるぞ」
アキラは小さな声でそう言うと、ちらりとミノルの方に目をやった。当のミノルは、アキラの視線にもまるで気付かずに、悠々とブランコを漕いでいる。
佑太はアキラの言葉に頷いた。
「よし。電車にするか。じゃ、みんな必要なものを家に取りに帰って、もう一回ここに集合でいいな」
「必要なー」 「ものってー?」
ミノルが小太りな身体をスイングさせながら佑太にたずねる。
「とりあえず電車賃だな。往復1000円もあれば足りるだろ。あとはなにか要るかな?」
佑太はアキラの方を向いて言った。
「お菓子!」
ミノルが急ブレーキでブランコを止めたかと思うと大声を上げた。
意表を突かれた佑太とアキラは、一瞬固まったあと、同時に噴き出した。
「駄目だ。腹いてぇー」
佑太はブランコの柱に手をかけて必死に声をしぼり出した。
「ミノルぅー、一応これ、冒険のつもりなんだからさー。それらしいものも持って来いよなー」
「ええー、それらしいものってなんだよー。水筒とか?」
「ミノルにかかると冒険っていうより遠足だな」
アキラが、からかうような調子で、ミノルの二の腕を、肘で軽く押した。
「ちょ、ちょっと、やめろよ。じゃあいったいなんなんだよー」
ミノルは柄にもなく怒った様子でアキラに言う。
「ポケットナイフとか懐中電灯とか――あとコンパス?」
「おいおい。ジャングルに行くわけじゃないんだからさー」
佑太の突っ込みで、三人とも一斉に笑う。
佑太たちは、冗談を飛ばしながら公園の入口に向かい、停めておいた自転車にまたがった。
「じゃ、二十分後にここに集合な」
☆ ☆ ☆
七階でエレベーターを降りた佑太は、廊下を奥へと進んでゆく。
自宅の前で立ち止まると、ポケットから鍵を取り出し、ドアを開けた。
「ただいまー」と言ったところで、家には誰もいない。父親はもちろん仕事だし、母親もパートに出ていた。
佑太は自分の部屋に入った。
乱雑に積み上げられたダンボール箱を掻き分け、学習机の上にぽつんと置かれた貯金箱を手に取る。裏返して、底蓋を開けると、小銭と折りたたんだ紙幣が数枚出てきた。先月ゲームソフトを買ったため、紙幣は数枚しか残ってなかったが、その中から二枚の千円札を抜き取り、短パンのポケットに滑り込ませた。
部屋を後にした佑太は、キッチンで冷蔵庫から500mlのお茶のペットボトルを取り出し、リュックの中に入れた。
急いで公園に戻ると、既にミノルが待っていた。
「おー、早いなミノル」
「ちゃんとお菓子持ってきたからね」
ミノルは嬉しそうにパンパンに膨らんだ背中のリュックを叩いた。
「お、お前、もしかして、その中身、全部お菓子?」
「まっさかー、ちゃんとジュースも持って来てるよ」
ミノルは首から下げた水筒を揺らした。同時におなかの肉もたぷたぷと揺れている。
やっぱリュックの中お菓子だけじゃん! と、佑太は心の中で突っ込んだ。
「ミノル、それリュックに入れとけよ。ぶらぶらさせてると自転車漕ぎにくいだろ?」
「あ、それもそうだね」
ミノルはリュックを肩から外そうとするが、水筒のストラップと絡まって、一人でお祭り騒ぎになっていた。
「あーもう、俺が入れてやるよ」
佑太は苦笑いしながらミノルの首から外した水筒をリュックの中に入れてやった。ちらっと見えただけでもリュックの中には数種類のお菓子が入っているのが分かった。
「それにしてもおそいなー、アキラ」
佑太は公園の時計を見やった。
「うん、もう余裕で三十分以上経ってるよね」
「家まで見に行ってみるか」
佑太とミノルは自転車にまたがり、アキラの家へと漕ぎ出した。
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