自転車を漕ぎながら公園の中に目をやると、並んだブランコをすれ違いに揺らしている二つの背中が見えた。
あいつら早いなー。
佑太は、ドリフトさせるように後輪のブレーキを強くかけ、緑鮮やかな木々に囲まれた公園の入口に、自転車を停めた。単車や自転車の侵入を防ぐ逆U字型の車止めの脇に、斜体で書かれた川の字のようにマウンテンバイクが三台揃う。
佑太は黄色く塗られた車止めを勢いよく飛び越え、公園を走り出した。
木陰に差し掛かった瞬間、夜が地表近くに溜め込んでいた冷気が、短パンから伸びた佑太の両脚をすうっと冷やす。
六月末。セミたちが鳴き始める前のまだ静かな公園に、佑太の澄んだ声が響いた。
「おっす」
佑太に気付いた二人は、スニーカーの底を地面に擦りつけ、ブランコの揺れを止めた。
「あーおはよう佑ちゃん」
色白で小太りのミノルが笑顔で言う。
「おう佑太」
佑太と同様に早くも真っ黒に日焼けしているアキラが低い声を出す。
「おはよ。早いなーおまえら」
佑太は手を挙げて二人に挨拶を返した。
「まぁ、どうせすることないしな」
「うん。学校がないと、朝から退屈でしょうがないよね」
アキラとミノルは、示し合わせたかのように同じタイミングで、ブランコからはみ出した足をぶらぶらとさせる。
先週の金曜日から、県内の学校は全て休校となっていた。
修学旅行帰りの学校の生徒から、新型インフルエンザの感染者が見つかったからだという。
これは感染の拡大を防ぐためということでの休校措置だったが、急に学校がなくなれば、家庭も生徒達自身も戸惑うのが自然だろう。
大方の予想通り、繁華街のゲームセンターやカラオケボックス付近では、遊ぶ気満々の中高生たちがテレビカメラに捉えられていた。当然、各学校の生徒は自宅待機を申し渡されている。だが、共働きで両親の監視がない家庭においては、そんな指導も、まるで拘束力を持たなかったようだ。
現にこうして、小学六年生の佑太たち三人も、朝から家を飛び出している。
「それより聞いてくれよ。さっきな、うちの自転車置き場の近くで、近所のおばさんが喋ってたんだけどさ――」
そこで佑太は、いったん言葉を区切った。口を閉じ、にやりと笑う。
「なんだよ。佑太、早く言えよ」
「そうだよ、なんなんだよー」
案の定、焦らされた二人は、ブランコから身を乗り出していた。
「あのな。塩見浜に、クジラが打ち上げられてるらしいんだ」
二人は、唐突な佑太の言葉に、ただきょとんとしている。
「えー? クジラってあのでっかいクジラ?」
やがて、ミノルが呆けた顔のまま口を開いた。
「そう、あのでーっかいクジラだ」
「ほんとかよ。俺さっきまでテレビ見てたけど、そんなこと一言も言ってなかったぜ」
疑り深いアキラは冷めた口調で言う。
「バカだねぇ、まだテレビ局に情報が行ってないだけだって」
「ほんとだったらすごいよねー」
空想癖のあるミノルは、ブランコを揺らしながら、空を見上げていた。
「そこでだ。どうだ? いまから三人で見に行かないか」
佑太は二人に一番伝えたかった言葉を口にした。
「えー、だって、一応外で遊ぶの禁止されてるじゃん。オレたち」
ミノルは口を尖らせて言う。
「バーカ、そんなの、母ちゃんが帰ってくるまでに戻ればいいだけの話だろ」
「まぁたしかに、まだ10時過ぎだしな」 アキラは公園の真ん中に立っている時計に目をやった。 「いまから出たら、夕方には帰ってこれるか」
「そうだよ。な、アキラ、おまえも見たいだろ?」
「そりゃまぁそうだな。クジラを近くで見れるチャンスなんて滅多にないだろうし。それで、そのクジラはまだ生きてるのか?」
「……それが分からないんだよ。そこまではおばさんも言ってなかったからさ」
「佑ちゃんとアキラが行くんだったら、オレ行く」
ミノルは目をきらめかせ、佑太とアキラの顔を交互に見ている。
「アキラは?」
佑太はたずねる。
アキラは、無言で、つま先に穴の開いた自分のスニーカーを見下ろしている。
「どうなんだよ」
佑太はじれったい思いでアキラを促した。
「よし。行ってみるか」
アキラはそう言うと、反動をつけてブランコから飛び降りた。
六月の鯨2へ つづく
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