『――昨日のホワイトデーだって、お返しも何もナシ。
毎日お酒ばっかり飲んで、ぜんぜん仕事もしないし、どうしようもないんです――
というお悩みですね。江東区のユミちゃんから頂いたFAXですが、
そっかぁ、そんな彼氏を持つと大変だよね。
まったく、甘やかすと、つけあがるだけですもんねー、男って生き物は。
そういえば、わたしの友達でも同じような悩みを持ってる子がいるんだけど、
また、その子が、そんな男ばっかり好きになるの! ほんっとに。
わたしはいつも怒るんだけど、本人は、でも彼……優しい所もあるの……。
なんて、言っちゃって、そんなの完全に利用されてるだけだと思うんですけどねぇ。
だからユミちゃんも、わたしの友達みたいにならないように、男を見る目、磨いてね。
ここだけの話、別れたほうがいいのかも……。なーんて、これは言いすぎかな。アハハハハ。
でも、ほんと。そんな男にいつまでもこだわらないで、いい人探そうね。わたしも応援してるよ。
では、FAXをくれたユミちゃんには、番組特製Tシャツを送らせて頂きまーす。
さーて、そろそろお別れの時間が近付いてまいりました。今夜、最後の曲は。
THE BANGLESで
「ETERNAL FLAME」を聴きながらお別れしましょうー。
See You、バイバーイ♪』
ふぅ。
「はい、オッケーでーす! おつかれさまでしたー」
「はーい。おつかれさまでーす」
ヘッドフォンを外した絵美は、側に置いたペットボトルに手を伸ばし、キャップをひねる。
スタジオの中に入ってきた新人スタッフが、軽い調子で絵美に声をかけた。
「エミリーさん、今夜どうですか?
スタッフみんなでメシでも行くかって話なんですが」
「うーん」 絵美は首を傾げる。
「今日はなんだか疲れちゃったし、わたしは帰るね。みんなで楽しんできて――」
☆ ☆ ☆
ただいまー。
返事があるわけない。
真っ暗なダイニングに入って照明をつけるや否や予想通りの光景が広がる。
テーブルの上にはひしゃげたビールの空き缶。コンビニ弁当の残骸。
出しっぱなしのキムチの瓶にマヨネーズ。
とりあえずバッグを床に置き、それらを冷蔵庫にしまう。
乱雑に詰め込まれた食材たちが発するにぎやかな色彩に目がチカチカする。
冷蔵庫の中は今日も、素敵にカオスやぁー。
ふん。彦麻呂ならもう少し上手く言うよね。
はぁ。とため息。疲れがますます増す。
コンビニ弁当のプラスチック容器を片付けようとしてマヨネーズがべとりと親指についた。
ああ、もうっ。
テーブルの端に置かれた台布巾が目についたので、それで手を拭おうとすると、
これがまた、仕組まれた罠であるかのように、ぐっちょりと濡れている。
やだもう。
いったい何を拭いたのよ。
頭をかきむしりたくなるが、手についたマヨネーズのことを思い出し、すんでのところで踏みとどまる。
もう我慢できない。
「ちょっと」 絵美はそう言って振り返った。
「ねぇ」
「ねぇ、いるんでしょ?」
尖った声を立て続けに白壁へぶつける。
うっすらと開いた部屋の隙間からは、野球中継のものらしき音声が漏れていた。
「ねぇったら」
業を煮やした絵美はテーブルを離れ、リビングにつながっている引き戸を開けた。
ソファの背もたれからボサボサの頭が覗いている。
「いるなら返事くらいしてよ」
「ん」
おかえりの一言ぐらいあってもいいんじゃないの?
と、これは心の声。もうそんなモノはとっくにあきらめていた。
「ちゃんと食べたものは片付けといてって、いつも言ってるじゃない」
……。
ふぅ。言っても無駄か。
「ねぇ、哲ちゃん、なにか食べるものある?」
「ん? あー、ボンカレーとUFO、冷蔵庫ん中」
ソファの背もたれ越しの声は、低く、こもっていて、聞き取りづらかった。
ていうか、なんでそんなものを冷蔵庫に入れてるのよ……。
「こんな時間なのに、まだやってるんだね、野球」
会話の糸口を掴もうとして話しかけたのに、
哲也から返ってきたのは「延長戦」の一言だけだった。
思わず、あんた単語で会話するのやめたら? と言いそうになるが、
一ヶ月前にも、同じ流れで、お返しにローキックをもらったことを思い出して踏みとどまる。
テレビに目を向けると、大写しにされたスコアボードには、0がたくさん並んでいた。
ふん。それで熱心に観てるわけね。
たしかに大画面でのスポーツ観戦は見応えがある。
それは分かる。分かるのだが、いくらなんでも、
ただでさえ手狭な6畳間のリビングに、このサイズのテレビはないだろう。
哲也がパチスロで大勝ちしたと言って喜んでいた日の翌日、
運送屋の手によって、突然部屋に運び込まれてきた液晶テレビは、なんと52型のものだった。
絵美は子供の頃から赤毛のアンや、大草原の小さな家の世界が大好きだった。
だからリビングも、お気に入りのカントリーテイストの家具で、かわいく仕上げたのだ。
なのに。
そのかわいいリビングに、巨大なぬりかべ(しかも黒)が、でーんと座り込んでいる。
これじゃ全てが台無しだ。
カスバート家に、インガルス家に、ぬりかべ(しかも黒)がいるか?
一体、この男は違和感を感じないのだろうか。
絵美は息を止め、哲也の後頭部をじっと見つめる。
ないな。
そんな繊細な神経は持ち合わせてない。
あーもうやだ。
それにしても、仕事で疲れ切って帰ってきた彼女に、一瞥もくれない彼氏って……
人としてどうなの?
ラジオのDJに相談のFAXかメールでも送ろうかと絵美は思う。
ふぅ。
「じゃあ、わたし、UFOでも食べようかな」
「あー、ついでに俺のコーヒー淹れてきて」
「自分でやれっつうの」
バシンと音を立てて戸を閉めてやる。
☆ ☆ ☆
「お。もう食ったのか」
絵美が味気ない夕食を終え、携帯を弄っていると、哲也が部屋から出てきた。
ひいきのチームが勝ったのだろうか、彼はご機嫌な様子で身体を揺らしながらキッチンに向かう。
「絵美、お前もコーヒー飲むか?」
「なによ、めずらしいじゃない」
哲也は手際よくコーヒーメーカーをセットし、なにやら冷蔵庫の中をかき回している。
「これでも食えよ」
哲也が差し出してきたのは小さな箱。水色の包装紙で丁寧にくるまれていた。
「え? これって……」
「おう、金なら気にすんな。俺のおごりだ」
違うわよ。っていうか、あんたの財布の中身はそもそも、わたしのお金じゃない。
「ねぇ、哲ちゃん、これって、もしかしてバレンタインのお返し?」
「は? 安売りしてたんだよ。ワゴンセールで。スーパーのレジの前でこーーーんなに山盛りだ」
哲也は目をまん丸にし、天井に向かって平泳ぎをするように両手で空をかく。
にくたらしいけど、子供みたいな仕草がかわいい。
「こーーーんなにだぞ」
再び空へ向けて平泳ぎ。
絵美は怒っていたことも忘れ、思わず笑ってしまう。
「もう、分かったわよ」
「お前いつも言ってるだろ? 腐らない食材は安い時に買いだめしておけって。
だからさ、いっぱい買っといたぞ。遠慮せずに食え」
バカ。なにを偉そうに。
だいたい、チョコは食材じゃないし……。
絵美は水色の包装紙を丁寧に剥がし、箱を開けた。
「あ、ホワイトチョコ」
「ほい、一個もらい」
絵美の目の前をごつい手が横切り、トンビのようにチョコをさらってゆく。
「あ」
「おおー美味いな。これ」
「……」
わたしより先に食べるか? 普通。
絵美は白いトリュフをひとつ摘まみ、口の中に落とした。
甘い香りが一瞬、つんと鼻に抜け、その後、ふわりと広がる。
「美味しいね」
絵美は目を瞑り、しばしその感触に酔う。
コツンという音。
目を開けると、手元にスターバックスのマグが置かれていた。
「ありがと」
絵美はそっと呟く。
哲也は返事もせずに、自分のコーヒーを抱えてリビングに消えてゆく。
まぁいいや。
絵美はマグを両手で包み、その温かさに目を細めた。
舌の上でじわり溶けゆく甘みに、思わず頬が緩む。
凝り固まった気持ちも、いつしか優しく溶けて、
このお話はブロ友の
つるさんのところで行われている、
「ホワイト・デー短編競作企画」向けに書いてみました。
つるさんありがとね。書くの楽しかったよ。
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