しこたま飲んだ俺たちは。
積もりたての雪にズボズボと足を沈ませながら細道をゆく――
大学の休みを利用してスキー場のアルバイトへ来ていた。
日本中から集まった雪好きの若者が寮で生活を共にする。
不景気のせいか年配の者も中にはいるが、大半は俺と同世代だった。
当然、一緒に働き、滑っていれば、打ち解け合うのも早い。
起床、メシ、仕事、メシ、ナイター。
部屋やロビーで飲み会、DVD鑑賞。
はたまた乾燥室でのワックス大会。
パラパラと日めくりカレンダーがめくられてゆくめくるめく日々。
雪の多いこの時期、リフト係の仕事は除雪がメインで体力的にはキツかったが、
雪山で生活するという俺にとってまったく未知の経験は、ただひたすらに楽しかった。
俺はこの日、同部屋のタスクと二人で、
仕事を終え、いそいそとナイターに出かける奴らをよそに、
ゲレンデ近くの通りにある小さな飲み屋に繰り出していた。
まぁ繰り出すと言っても徒歩なのだが。
会社の寮からは、せいぜい五分ぐらいだろう。
ハイテンションで飲むうちに、宿で居候しているという女の子二人組と仲良くなった。
なに珍しいことではない。スノーボードという共通言語のおかげで、山での出会いには事欠かない。
それなりの時間になったので、割り勘で支払いを済ませ、俺たちは店を出た。
今から、あたしたちの居候部屋で飲み直さない? 彼女らはご機嫌な様子で言う。
そりゃあ行くに決まっている。据え膳食わぬは――
おっと。そいつはまだ気が早い。急いてはコトを仕損じるわけで。
ぬくぬくの店内から一歩外へ出ると、エクストリームな天候が俺たちを待ち受けていた。
横殴りの激しい風雪が吹き荒れる中。
ウェアのフードをすっぽりと被ったモコモコ姿の俺たち四人は、背を丸め、トコトコ雪道をゆく。
足元は当然長靴だ。スニーカーの歯が立つ世界ではない。
何分歩いただろう?
まつ毛がぱしぱしと凍り始めた頃、ようやく彼女らの宿へ辿り着いた。
山月荘。錆びついたような白い看板が、玄関の上に掲げられている。
木造二階建て。建物は大きい。
が。はっきり言って、ボロい。
ちょっと待ってて。
先に一人の女の子が、通用口のドアを開け、忍び足で中へ入ってゆく。
門限は一応、23:00と決まっているらしい。
今は――
俺はウェアの袖をまくり、腕時計を光らせる。
23:45。
……。
余裕でオーバーしてるじゃないか……。
だが門限を破ろうが、誰もチェックするものはいないし、
うるさく言われることもないのだと彼女らはいう。
フム。それなんの為の門限?
それでも、女の子だけの居候部屋に、男が侵入するのはさすがにまずい。
慎重な行動になるのは当然だろう。
いいよ。入ってきて。
と暗闇から小声。
ガタン。
タスクが段差に長靴を豪快に引っ掛けて大きな音を立てた。
「バカーッ!」
先に入っていた女の子が両の拳を握り、絞りに絞った声を出す。
ぶぶっ。俺は軽く吹き出した。
酒に飲まれていい感じになっていると箸が転んでもおかしいものだ。
俺たちは、静かに長靴を脱ぎ、忍び足で薄暗い廊下を進んでゆく。
女の子は廊下の左手、曇りガラスのはめ込まれた引き戸を開けた。
居候部屋は決して広くはなかったが、居心地は良さそうだ。
洗濯物や、グローブ、ゴーグルなどが物干しロープから吊り下がっている。
部屋の真ん中にコタツを挟んで、両側の壁には二段ベッドが置かれていた。
つまり最大で四人が暮らせるわけか。
女の子の一人がコタツの側を抜け、部屋の奥のカーテンを開ける。
外気の影響で冷える窓際には、チューハイや缶ビールなどが並べられ、エコな冷蔵庫と化している。
「――あはははは。ヤバかったよねぇ。さっきは……」
などと声をひそめながら俺たちが飲みだすと。
ガタン。廊下の方からなにやら物音が。
「ヤバっ。隠れてっ」
「ほらっ、そこ!」
俺たちは二段ベッドの下に強引に押し込められる。
埃臭いったらなかった。
ったく、たまには掃除機くらいかけろよと心の中で毒づく。
どすん。頭上に振動が伝わる。
女の子たちは二人ともベッドに入ったようだ。
寝たふりをするつもりか?
むう。電気も点けたままじゃないか。ツメが甘いなぁと声を殺してぼやく。
ガタガタと扉が鳴る。
ベッドの下から扉の方を盗み見ると雲りガラス越しに人影が見えた。
宿の人が見回りに来たか?
だが、結局、扉が開かれることはなく、
数秒間、立ち尽くしていた人影は、廊下の奥へ消えた。
ふう。
脅しというか。おそらく警告なのだろう。
今日はいいけど。次は怒るよ。といったところか。
俺とタスクはベッドの下からずるずると這い出した。
タスクの目はもう虚ろ。半分まぶたが閉じている。
「おーい寝るなー寝たら死ぬぞー」
俺はやつの肩を揺らす。
「危なかったねー」
「奥さんかな?」
「昨日も遅くまで飲んでて言われたところだもんねー」
彼女らは、ベッドの上で向き合い、胡坐をかいている。
「なんかさ。見てたら、廊下の奥に消えたね、影」
俺がそう言うと。
「え?」
「奥?」
二人が同じタイミングで俺の方を向いた。
「うん。そっち」
俺は扉の左手を指差す。
彼女達は顔を見合わせた。
「うそ〜〜〜〜〜〜!?」
「バ、バカッ、声でかいって」
なんで、俺が怒ってんだ。
「また来たらどうすんだよ」
「だって……、ねぇ?」
二人は、寒そうに自らの身体を抱き、目配せをした。
一人が口を開く。
「奥なんてないよ」
「え?」
「廊下の奥なんてないの」
「ほら、来て」
彼女らは同時に立ち上がった。
俺のパーカの袖を引き、部屋の入口に向かう。
引き戸を開けると、刺すような冷気が頬を打った。
おそるおそる廊下に身を乗り出す。
俺から見て左手、人影が消えた方へ目をやる。
誰もいない……。
そこは壁、行き止まりだった。
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