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「シンクロニシティ」後編


まずは「シンクロニシティ」前編からどうぞ。



彼女とは、あの日以来、数回、帰りの電車で乗り合わせた。

その度、話はする。

そう。話はするんだけど……。

実はまだ、彼女の名前も聞いていなかった。

会話自体はいつも自然に盛り上がるのだが、いかんせん話せる時間が短い。

最寄り駅に着くまで。せいぜい数分間といったところだろうか。

もう少し話をしたい、と思っても、駅を降りた近くにカフェなどもない。

あるのは青と白の看板を煌々と灯したコンビニがただ一軒のみ。

改札を抜けて数十秒。コンビニを通り過ぎたら、もうそこで――

バイバイなんだよなぁ……。

ハァ。ため息が漏れる。

僕は電車の座席に腰掛けながら考える。

よし。今度一緒になった時こそ、名前を聞いてみよう――

顔を上げて驚いた。

僕の思いが通じたのかもしれない。

電車の窓の外に笑顔が覗いた。

彼女が腰の辺りで小さく手を振りながら車両に乗り込んでくる。

淡いグレーのパンツスーツにクリーム色のステンカラーコートを羽織っている。

黄色いマフラーからこぼれた栗色の髪がふわり、胸元の素肌にかかっていた。

彼女は笑顔のまま、お疲れさま。と尻上がりな調子で明るく言い、僕の隣に座る。

今日は寒いね。

なんてありきたりの挨拶から始まった会話が、

いつのまにか何かの拍子で学生時代の話になっていた。

彼女は去年まで、東京の外国語大学に通っていたのだという。

「小学生の頃から英語が好きだったんだ」 彼女ははずむような口調で言った。

「そう言えば、僕も子供の頃、英会話教室に行ってたなぁ」

まぁ英会話と言っても小難しいものではない。

近所の主婦が近所の子供向けに自宅で開いていた英会話教室。

勉強というよりもむしろ遊びに行ってる感覚のほうが強かった記憶がある。

アットホームで(自宅なのだから当然だ)、まるで寺子屋のような雰囲気だった。

「それって、まさか……、村上先生のところじゃないよね?」

彼女は“英会話教室”という僕の言葉に、大きな目をさらに大きくして反応した。

「え? なんで知ってるの?」

僕は訳が分からなくて、きっと間抜けな表情になっていたと思う。

「わたしも行ってたから。そこ」

「うそ? 村上先生のところに?」

「うん。わたし、村上先生大好きだったんだ。今でも連絡してるよ」

僕は、まだ頭が混乱していた。

待て。頭の中で情報を整理する。

そして彼女の顔をじっと見つめる。

僕とそれほど齢は離れていないはずだ。

「じゃあ、ひょっとすると……、同じ時期に通ってたかもってこと?」

「でしょ? わたし、知香、楢崎知香。覚えてない?」

頬をほのかに赤くした彼女は、自分の鼻を指差した。

「知香って……、もしかして、由佳ちゃんの妹の知香?」

「そう!」

記憶の糸を手繰る。

同級生の楢崎由佳は英会話教室で一緒だった。

低学年の子も高学年の子も皆同じクラスだった為、

教室(というか村上家のリビング)には、たしかに由佳の妹の知香もいた。

つまり。

今、僕の目の前にいる、このキレイな女の子が、

あのおてんばで、いたずらっ子の知香だということだ。

信じられない……。目がくらんだ。

ふぅ。大きく息を吐く。

「――僕は、優也、木戸優也って覚えてないかな」

「えー!? 優くん!? 一緒に遊んでたじゃない!」

「だ、だよね」

彼女は目をくるくると回して天井を見上げる。

「やだ、信じられない。あの意地悪な優くん、いじめっ子の優くんが……」

がくり、と手すりに掛けていた僕の肘がずれる。

「ちょ、ちょっと待て」

どちらかと言うと、楢崎姉妹には僕の方が苛められていたような気がするのだが。

筆箱に蛾の死骸を入れられたり、使わずにいた消しゴムのキレイな方の角を丸められたり。

「――こんなに、かっこよくなってるなんて、びっくり」

「な、なに言ってるんだよ」

僕は彼女の口からこぼれた意外な言葉に必要以上に動揺してしまう。

「うわー、なんだか懐かしいね。わたしお父さんの転勤で、ずっと東京で暮らしてたから。

何年ぶりだろう? 小学五年生で引っ越したでしょ、ってことは――、12年?」

彼女は白くて細い指をひぃふぅみぃと順に折って数えている。薬指に指輪は――

ない。

「優くんは今、いくつ? わたしの2コ上だったから25くらい?」

「そうだね、来月で25になる」

という事は、彼女は僕より二つ下だ。

あの知香が、23歳か。

子供の頃の彼女と、今目の前にいる彼女の像がどうしても重ならない。

その時だ。

車両の入口から、よろよろとよろめきながら白髪の女性が入ってきた。

車内は連絡待ちの間に混み合ってきている。

入口近くの座席に座っている乗客は、女性にちらりと目をやるものの、誰も動こうとはしない。

その様子を見、対面の座席に掛けていた僕と知香は、ほぼ同時に立ち上がった。

「どうぞ」

二人の声が重なる。

「ああ、すみません、ありがとうございます」

女性は何度も深く頭を下げ、ほっとした表情で座席に腰掛けた。

ほら。座りなよ。僕は知香に目で合図する。まだ一人分、席は空いている。

ううん。知香は首を横に振る。

背伸びした彼女は僕の耳に顔を寄せ、小さくこう言った。

「わたしたち、どうせすぐ降りるんだし、立ったまま話そう」

僕たちは女性に会釈し、少し離れた扉の側に移動した。

「優しくなったね、優くん。あんなにひどいいじめっ子だったのに」

知香はいたずらっ子の笑顔を浮かべ、僕の脇腹を肘で軽く突いた。

「こら」

僕は彼女のおでこをつんと突き返す。

僕の好みの女性。

――電車やバスの中で、躊躇せずに席を譲れる子。

「知香。次の休み、遊びに行こうか」

僕はそのうち、勇気を出して、そう口にするつもりだ。

なに、お年寄りに席を譲るときの勇気と変わらない。言えるさ。

「ねぇ、優くん、良かったら今度の休み、どこか遊びに行こうよ」

不覚。先を越された……。

「う、うん、いいよ。丁度、今、観たい映画があってさ――」

発車を報せるブザーが鳴り、扉が閉まる。

電車はゆっくりと進みだした。

知香が何かに気付いたようで、僕の腕をトンと叩く。

目線の先を見ると、さきほどの女性が、穏やかな表情で目を瞑り、うつらうつらと肩を揺らしていた。

席を譲ってよかったな。と思う。

知香と目が合う。ふっと二人、微笑みを共有する。

彼女も同じことを感じていたようだ。

電車は進む。トコトコと進む。二人の家へ向かって。

その揺れに身を任せるうちに、いつしか僕と彼女の肩は寄り添っていた。












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「シンクロニシティ」前編


年寄り扱いしないでくれっ。

大きな声で、そう言い残し、白髪の男性は隣の車両へ消えた。

席を譲ろうとして同時に立ち上がった僕と見ず知らずの女の子は、

車内の視線を、それこそ根こそぎ集める。

二人して目を伏せ、もじもじと座りなおした。

「あんな言い方しなくても……」

「ねぇ」

僕の口から、ついこぼれた愚痴に、隣の彼女も同意する。

苦笑いを共有することで、やり場のない気まずさが、少しだけ薄まったような気がした。

「素直に譲ってもらえばいいのにね。ああいう時は」

「うん。わたしたちはまだいいよ。別にこれで席を譲ることをやめちゃったりしないし。

お兄さんもそういうタイプでしょ。本質的に優しい人。顔を見たら分かる――」

そうかな? 僕は考えもしなかったことを言われて、自分の頬をつるりと撫でる。

「――でも、もしね、まだ純粋な小学生が勇気を出して、どうぞって、

立ち上がったときにあんな断り方されたら、傷付いちゃって、

もうそのまま一生席を譲らない人間になる可能性だってあるわけじゃない? 

そう考えると、あのおじさんの罪は大きいよ」

彼女は眉をひそめ、さきほどの男性に厳しいジャッジを下した。

マスカラで強調された長い睫毛が瞬き、風が吹く。ほのかに甘い香りが僕の元へ届く。

香水だろうか。それともシャンプーの匂いだろうか。僕には判別できない。

「そう思わない?」

「え? ああ、その可能性はあるね。

僕でも今、軽くショックだったもの。あの言い方はない」

「そうだよ。断るにしても、すぐに降りますので――とか言い方があると思うんだ」

周りの乗客の興味は、既に各々の携帯電話や文庫本、DSなどに分散していた。

僕らはそれでも、ほんの少し顔を寄せ、小声で話した。

初対面にも拘わらず、互いにいきなり、くだけた口調だった。

それが不快に感じられない。

敬語でないのに、まったく違和感がないのは何故だろう。

車内にアナウンスが流れる。最寄の駅が近付いてきた。

「あ、降りなきゃ」

彼女は茶色の革のトートバッグを持ち直し、慌てて立ち上がる。

ほぼ同時に、僕も席を立っていた。

彼女はきょとんとした顔つきで、隣の僕を見上げる。

「僕もこの駅なんだ」

「そうなの? ご近所さんだね」

彼女は改札機に携帯をかざし、僕は定期券を挿入する。

二人並んで改札を抜ける。

駅前のコンビニを通り過ぎたところで彼女が立ち止まった。

「わたし、こっちなんだ」

「そう。僕はまっすぐだ。じゃあ、気をつけて」

「ありがとう、おやすみなさい」

「おやすみなさい」

僕は闇に溶け込んでゆく後姿をしばし見送った。

それが、彼女との再会だった。










 後編へつづく




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posted by layback at 21:54
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