完璧だ。
パソコン。テレビ。音楽プレーヤー。
ミニ冷蔵庫。耳かき。爪切り。孫の手。等々。
座りながらにして全てのアイテムに手が届く。
私は子供の頃から自分の居場所をコクピット状態にしないと気がすまないのだ。
新居に越して、やっと念願の書斎を手に入れた。
少しずつ手を加えて完成したマイスペース。
屋根裏部屋だが文句はない。
これで誰にも干渉されずに読書や書き物に没頭することができる。
私はバング&オルフセンのプレーヤーにCDを入れ、翻訳ミステリーを読み始めた。
アール・クルーの優しいギターの音色がシルクのように私を包み込む。
まさに至福のひとときだった。
ただし、ノックの音がするまでは。
「入るわよ」
不機嫌そうな声と共に、妻が部屋に入ってきた。
「なにか用かい?」
「用かい? 今日は町内会の草抜きとゴミ拾いの日じゃないの」
「ああ、そう言えば……」
すっかり忘れていた。
「まだ越して間もないんだから、
そういう地域の奉仕活動には積極的に参加しないとダメじゃない」
なら、君も――
と口を開きかけてやめた。わざわざ火に油をそそぐことはない。
「あなたが家に居るのは日曜日だけでしょ。だいたいあなたはいつも――」
はじまった。今日は長くなりそうな気配だ。
ひょっとすると生理前なのかもしれない。
急遽、耳をスルーモードに切り替えたが、
彼女の鬼神のような顔を見ているだけで気が滅入ってくる。
天窓から覗いていたお日さまも恐れをなしてか姿を隠してしまったようだ。
これでは、せっかくの休日が……
知らず知らずのうちに私の右手は伸びていた。
プシュッ。
ボンッ。
一瞬の内に、私の身体は空高く舞っていた。
イスに仕込んだ強化スプリングに弾かれ。天窓を抜け。
そう。緊急脱出用ボタンを押したのだ。
あなたがたもコクピットを作るなら、これだけは設置しておいたほうがいい。
一見、平穏な日常でも、何が起こるか分からないからね。
私は今、病院のベッドの上でこの文章を書いている。
何?
その後、妻にお仕置きされたのかって?
いや、
パラシュートを付け忘れただけさ。
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