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「……」


妻と二人で夕食を食べた。

「物を噛む時にクチャクチャ音を立てないで」

「……」

夕食後、友人にメールを打っていた。

「携帯のボタン音は消してよ」

「……」

コーヒーを飲みながら趣味の音楽鑑賞だ。

「ヘッドフォンから音が漏れてるわよ」

「……」

夕刊と朝刊をゆっくりと読もう。

「新聞をバサバサと派手に読むのやめてくれない?」

「……」

うちの妻はうるさい。

わたしは音を消した。

とても静かになった。

わたしの立てる音以外は。










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「多機能携帯」


スーパーで夕飯の買い物を終え、駅前通りを歩いていると、
見慣れた高校の制服が目に入った。あれ、うちの敏弘じゃないかしら。

「敏くん!」
長身のいがぐり頭が振り返った。

「ああ、母さんか。あんま大きい声で呼ぶなよ、恥ずかしいじゃんか」
「何が恥ずかしいの」
ばん、とブレザーの背中を叩いてやる。

「あんた今日クラブの練習は?」
「今日からテスト一週間前だから休みなんだよ」
「あら。じゃあ家のお手伝いできるわね」
「勉強するための休みだっつ――」
「ハイ、とりあえずこれ持って」
有無を言わさず右手にぶら下げていた買い物袋を敏弘に手渡した。

「ちぇっ」
敏弘は渋々といったようすで、買い物袋を受け取った。
肩からは野球部の四角いカバンを下げている

「練習休みなんでしょ?そのくせ、なんでクラブのカバン持ってるのよ」
「あ?放課後の練習だけ休みで、朝練はあるんだよ。今日もオレ朝早く出てったじゃん」
敏弘は左手に持った携帯電話から目も離さずに答える。

まったく憎たらしい。
小さい頃はお母さんお母さんって、わたしの服を掴んで放さなかったのに。
最近では「お母さん」どころか、わたしに掛ける言葉と言えば、
「ごはん何?」とか「お代わり」だとか、そんなのばかり。
まったく女の子を産んどけば良かったわ。

「あんたそんな携帯ばっか見てたら車にぶつかるわよ」
「……」
返事もしない!まったく我が子ながら情けない。
前を行く敏弘は、自動販売機の前で立ち止まり、機械に携帯電話をかざしている。

「なにしてるの?」
「ん?携帯で買えるんだよ今は。お財布ケータイってヤツ」
お財布ケータイ!何の意味があるんだろう。小銭で買えばいいではないか。

プシュッと炭酸のはじける音がする。
コーラのペットボトルを呷りながら、敏弘は歩き出した。
器用に袋を持ち替え、片時も携帯から目を離さない。
今度は画面を横向きにして、何かを見ているようだ。
ワンセグとかいうテレビ機能だろうか?

携帯なんか電話が掛けられれば、それでいいのにねぇ。
そう心の中で呟くわたしは、いまだに携帯を持っていない。

バリバリバリとうるさいバイクの音が背後から近付いてきた。
ほんとに最近の若い子は――

「あっ!」

肩から下げていたナイロンバッグの重みがフッと抜ける。
左手で掴もうとしたが、手につかない。
危うく体まで引きずられそうになる。

ひったくり!叫びたかったが声が出ない。
ノーヘルで原付バイクに乗った男が爆音と共に追い抜いていった。

道路側にバッグを持ってたから――
そんな事、今考えてもしょうがないじゃない!
前を歩いていた敏弘に向かって叫ぶ。

「敏!敏弘っ!警察に電話してっ!ひったくりよ!」

やっと声が出た。振り返った敏弘は、立ち尽くすわたしと、
走り去ろうとするバイクを交互に見て状況を把握したようだ。
すぐさま携帯のボタンを操作しようとする。

のだが……

「あ。バッテリー切れた」

……

肝心な時に携帯の意味がないじゃない!このバカ息子!
へなへなと膝の力が抜けて、わたしはその場にへたりこんでしまった。

ああ、お財布に何入れてただろう。
現金はそんなに入ってないけど、カード類が――

ぼんやりと前を向いていたわたしの視界の端で、敏弘が大きく振りかぶった。

ちょっとあんた……

180cmの長身が弓のようにしなる。
直後、彼は溜め込んだパワーを開放し、一気に右腕を振り下ろした。
ダルビッシュさながらの美しいフォームだ。
何かがバイクの男に向けて、矢のように飛んでゆく。

   ☆

当たった。後頭部。ゴツンという音が響いたような気がした。
ひったくり犯を乗せた原付バイクは、右に左にぐらぐらと揺れたあと、
傾きながら道路脇の民家の生垣に突っ込んでいった。

それを見た敏弘は獲物に向かう狩猟犬のように駆け出してゆく。
わたしはそのしなやかな一連の動きを、座りこんだまま呆然と眺めていた。


   ☆   ☆   ☆ 


「大丈夫かっ!?オレの携帯」
「あんた、携帯投げたの?」
「ああ咄嗟に投げちゃった。やっぱコントロールいいな、オレ」
そう言ってぐるんと腕を回す。

「ちょっとこの子死んでるんじゃない?」
「いやピクピクしてるし大丈夫っぽいよ」

わたしは通りがかった若い女性に携帯電話を借り、救急車と警察を呼んだ。
敏弘は側溝から拾い上げた携帯をいじりながら皮の擦り切れたローファーのつま先で、
アスファルト上に伸びている茶髪男の肩口をつんつんと蹴っていた。

「ちょっと、あんたヤメなさい」

敏弘は返事もせずに、携帯をブレザーの袖で磨きはじめた。

「あー、ちゃんと電源入るかなー。超心配」

この子ったら大物なんだか何なんだか……

「敏弘」

ん?という表情で、彼は携帯から顔を上げた。

「ハイこれ」 

置き去りにしていた買い物袋を手渡す。
そして、どさくさ紛れにお礼を言ってみた。

「ありがとね」

「んおお」 なんだその返事は。

でもわたし、やっぱり男の子を産んどいて良かったわ。











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