「あなた忘れ物よー」
「おお、すまんすまん」
「もう。ヘルメットを忘れたらダメじゃない」
「気持ちいいだろうけど、逮捕されちゃうな。ハハハハハ」
妻の笑顔に見送られ、目覚めたばかりの街に足を踏み出した。
きりりと冷えた空気がすがすがしい。
ぶるん。
両手で引き裂いたように静寂が破れ、
V型二気筒エンジンの不規則な鼓動が始まる。
重低音に腹が揺さぶられるようだ。
艶やかに光る黄色いタンク。
883スポーツスター。
お隣のご主人だな。
軽く頭を下げて挨拶する。
ハーレーで通勤とは羨ましいかぎりだ。
私はヘルメットを被り、駅へ向かって歩き出した。
バイク用のヘルメットと比べると、ひとまわりサイズが大きかったが、
軽量に作られているため、それほど首に負担はかからない。
それに全体がクリア樹脂製なので視界は良好。圧迫感もなかった。
分かりやすく言うと、大きな金魚鉢を被っているようなものだ。
私は口の前の部分のカバーを上にスライドさせ、煙草を咥えた。
火を点けると、すぐにカバーを閉める。
ふぅー。
煙で満たされる。
Delight。
私は空気を汚しません。
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